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こんにちは。

京の都を焼け野原にした「応仁の乱」は、日本にどんな影響を与えたでしょう。

11年間、京の都を舞台にした戦いは、都だけに治まらず、地方に飛び火していきました。そして、結果的に、日本の社会に大変動といえるような変革をもたらしたのです。

今回は、「応仁の乱」が社会に与えた影響について、お伝えします。

1.荒廃した京で、「町衆」の自治が進んだ

応仁の乱で、都は文字通り焼け野原になります。

多くの神社仏閣が焼け落ちてしまうのです。もったいないです~!
主戦場となった相国寺や南禅寺のような「五山」まで破壊されてしまいます。

今、私たちが京都観光で観る八坂神社や清水寺、伏見稲荷大社などは、すべて、応仁の乱の後、再建されたものなのでした。

平安時代の建物じゃなかったの~~~~?

って思いますよね。

もう、本当に、さんざん焼き尽くされたということは、都に住む領民たちは、たまったもんじゃありません。

館を焼かれた守護大名たちは、地方に都落ちできますが、庶民はそうはいきません。

そこで、町衆たちは、自分たちで団結してお互いの身を守る組織を作るようになりました。上京・下京それぞれの町衆は、自分たちで居住区の周りを塀(へい)で囲み、無法者の侵入を防いだのです。

つまり、この乱の影響で、京都の町衆の団結が固くなり、自治が進んだのでした。

2.全国各地に「小京都」が発展していく

「小京都ミステリー」って知ってますか?

以前、2時間ドラマ「火サス」でやってたシリーズもので、各地の小京都を舞台にしたミステリー番組でした。

あれ、人気あったんですよね。
その理由は、小京都の名所が舞台として出てくるからだったんです。
(船越英一郎と片平なぎさコンビの人気もあったけど)

「応仁の乱」で都落ちした守護大名たちは、親類を頼って各地に下っていきました。そして、その地に、都の文化を定着させ、都のような町づくりをしたのです。

現存する小京都には、3つの条件があります。

(1)京都に似た自然景観、町並み、たたずまいがある
(2)京都と歴史的なつながりがある
(3)伝統的な産業、芸能がある

この3点を満たす地域は、全国に30都市近くあります。
人気の小京都は、金沢、萩、津和野、松江、郡上八幡弘前、遠野などです。

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これらの町は、京都のような町並みではありますが、各地方の伝統産業が発展していて個性的です。金沢の加賀友禅、九谷焼、萩の萩焼などがあります。

金沢の伝統品は煌びやかですし、現代的な絵柄も豊富で素敵ですよ♪
こんな感じです。 ↓↓

 

こうして、応仁の乱後、京の文化が地方文化に流れて、地方が活性化し、洗練されていったのでした。

3.「下剋上の」世の中→戦国時代に!

応仁の乱で、将軍の権威は失墜し、無力さが知れ渡ってしまいました。

都の荒廃が進む中、一部の守護大名が力をつけ、実力本位の世の中になっていきます。

将軍は管領の傀儡になり、守護は守護代に取って代わられ、国人は一揆で支配階級に反抗するようになりました。

もう、それまでの組織が、ぐっちゃぐちゃに壊れてしまうんですね。

つまり、「荘園制の崩壊」です。

そして、社会的に身分の下位の者が身分の上位の者を実力で倒す「下剋上」の世になったのです。

こうして、戦国時代が、始まったのでした。

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