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こんにちは。
 
 
約260年余りにわたる長期政権を築いた徳川家康。
 
 
すごい偉人なのに、戦国武将としての人気はいまいちですね。
 
 
でも、私はかなり好きなんです。そして、その息子の2代目・秀忠はもっと好きです。
 
 
彼は長生きしてたくさん逸話を残しているので、なかなか簡単にはとらえられません。
 
 
でも、今回は徳川家康の75年の生涯を、できるだけ簡単にポイントを押さえてお伝えしたいと思います。

 
 

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続く人質生活~独立を夢見た少年期

 

 
徳川家康(1542-1616年)は、三河国の土豪・松平広忠と水野忠政の娘・於大との間に生まれました。
 
 
家康は父とも母ともはいころに別れて育ちます。母は幼い頃に離縁されて去り、6歳で織田家、今川家と人質生活をしている間に、父親は家臣に斬殺されました。
 
 
6歳のとき今川家の人質になるはずだったのですが、織田家に捕まってしまうという奇妙な事件にあい、そのまましばらく織田家で暮らしました。
 
 
織田家にいたとき、織田信長と知り合いました。2人は子供の頃からの顔なじみだったんですね。信長のほうが8歳ほどお兄さんでした。
 
 
約2年後、彼は今度は今川家の人質になりました。今川家は公家とのつながりの深い名家でした。そして、「応仁の乱」後、都の混乱から逃れてきた公家の受け皿となっていたので、知識人がたくさん集まっていたのです。
 
 
人質とはいえ、将来今川家の家臣となると期待された家康は、この今川家で高い教養を身につけさせてもらえたのです。

 
 

「桶狭間の戦い」で独立を果たす!

 

 
1560年、家康が18歳のとき、まさかという出来事が起こりました。身を寄せている今川家が「桶狭間の戦い」で新興の織田信長に敗北したのです。
 
 
このとき家康の軍は今川側で危険な食糧運搬任務などについていたのですが、奇襲を受けたときは別の場所で休憩仲でした。
 
 
今川義元を討った織田には追撃する余力は残っていなかったので、戦闘は終了します。こうして彼は、本拠地三河の岡崎城に戻ることができたのでした。」
 
 
今川家の後継ぎ・氏真は、武将としては残念な人でした。彼は公家流サバイバル術を完璧に身につけて、上手に世渡りをした愉快な人です。
 
 
ラッキーなことにそんなぼんくら後継ぎだったので、家康はこのとき独立できたのでした!

 
 

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織田信長とは気が合った?20年来の盟友だった

 

 
その後、家康は織田信長と1562年に同盟を結びました。清州同盟と呼ばれるものです。
 
 
身内の裏切りや周辺からの攻撃の多かった信長にとって、家康は数少ない盟友となったのです。
 
 
その理由は、がっしり信頼し合っていたからではなく、協力し合ったほうが互いに「利」を得られると踏んだからです。
 
 
信長のほうが立場は上でしたが、その後、彼らは信長が「本能寺の変」で討たれるまで、20年間同盟関係を守り続けたのでした。

 
 

「本能寺の変」後は秀吉に下る

 

 
1582年、家康が40歳のとき、「本能寺の変」で織田信長が明智光秀に討たれました。
 
 
このとき家康は堺を観光中だったので急いで国に戻りました。そのとき伊賀越えで、伊賀や甲賀の忍者(傭兵)の力を借りた縁で、忍者との関係が深くなりました。
 
 
その後は、豊臣秀吉の家臣になり、天下統一の手助けをしました。

 
 

「小田原征伐」で関東に異動

 

 
1590年家康が49歳のとき、「小田原征伐」で豊臣秀吉が北条家を滅ぼしました。
 
 
 
その恩賞として、徳川家康は関東に移封され、関東平野(江戸)を拠点にしたのです。
 
 
これが後に発展して、江戸時代の首都となりました。

 
 

「関ケ原」と「大坂の陣」で天下をつかむ!

 

 
豊臣秀吉の死後、50代後半になっていた家康は、代替わりした若い大名たちの信認を得るようになっていきました。
 
 
石田三成と敵対した元秀吉子飼いの武将たち・加藤清正らも、家康よりになってきました。
 
 
そうして、「関ケ原の戦い」「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」を経て、天下を勝ち取ったのです。
 
 
1603年、61歳のとき、徳川家康は征夷大将軍に任命され「江戸幕府」を開きました。
 
 
彼の開いた江戸幕府は、1867年の「大政奉還」まで260年余り続く長期政権の始まりとなったのでした。

 
 

徳川家康の簡単年表

 

 
・1542年(0歳)
三河国・松平広忠の長男として誕生。
幼名は「竹千代」(たけちよ)」。
 
・1548年(6歳)
今川義元の人質になる予定だったが、織田家に連れ去られた。
 
・1550年(8歳)
織田家から今川義元の人質になる。
 
・1555年(13歳)
元服。松平元信(後に元康)と名乗る。
 
・1560年(18歳)
「桶狭間の戦い」
→織田信長に今が義元が討たれる。
 
・1562年(20歳)
今川氏真から独立。
「清洲同盟」締結。
→織田信長との同盟。
 
・1566年(24歳)
「徳川家康」と改名。
 
・1568年(26歳)
今川家滅亡
→武田信玄と協力して滅ぼす。
 
・1572年(30歳)
「三方ヶ原の戦い」
→武田信玄に完敗。
 
・1575年(33歳)
「長篠の戦い」
→織田信長と共に武田勝頼を破る。
 
・1578年 (37歳)
松平信康(徳川信康)の切腹事件。
 
・1582年(40歳)
武田家滅亡
→織田信長と共に武田勝頼を滅ぼす。
 
「本能寺の変」
→織田信長が討たれる。
 
・1584年(42歳)
「小牧・長久手の戦い」。
→豊臣秀吉と1年余り戦う。
 
・1586年(44歳)
秀吉の家臣になる。
 
・1590年(48歳)
秀吉の天下統一。
関東地方に移封。
→江戸城へ
 
・1595年(54歳)
豊臣秀次が自害。
 
・1598年(56歳)
「五大老」に就任。
豊臣秀吉病没。
 
・1600年(58歳)
「関ヶ原の戦い」
→石田三成に勝利。
 
・1603年(61歳)
征夷大将軍に任命。
「江戸幕府」を開く。
 
・1615年(74歳)
「大坂夏の陣」
→豊臣秀頼と戦い豊臣家を滅ぼす。
「武家諸法度」制定
「禁中並公家諸法度」を制定。
 
・1616年(75歳)
病没。
 

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