【江戸の暮らし】娘を「玉の輿」に!江戸には教育ママが多かった?

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こんにちは。
 
今回は、シリーズ【江戸】の娘の教育について、お伝えします。
 
江戸の娘は、恋愛も意外と自由で、教養を身につける方法も、多くあったようですよ。そして、その目的は「玉の輿」狙いというのも多かったのでした。
 
なにより、教育ママが多かったというのが、面白いですねえ。
なぜ、そうだったのでしょう。
 

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「大奥」つとめは箔がつく?

 

 
江戸は、以前もお伝えしましたが、男子の数が極端に多かったので、女性の価値が比較的高い社会でした。
  ↓↓
【関連記事】【江戸の暮らし】屋台が大繁盛!江戸は独身男性が多かった?
 
娘の器量と運、実力次第では、大きく出世することができたのです。
江戸には、「大奥」という女性のみの国家公務員機関がありました。
 
「大奥」はドラマなどで怖ろしくも切ない女の園というイメージがついていますが、実際は、実に機能的なインテリ女性の集団だったのです。
 
そして、大奥でお勤め経験のある女性は、「できる女子」とみなされて、結婚するときに箔がついたようなんです。
 
少数ですが、将軍の側室に上がれる人もいました。
 
現に、第3代将軍・家光の側室は、元尼僧や八百屋の娘、罪人の娘なんていう人もいたのですよ。
 
これはもう、女の下剋上みたいで凄いですね。
でも、それには、大きな声では言えない理由があったのです。

 

「玉の輿」は夢じゃない!

 

 
徳川幕府3代将軍家光は、男性が好みで、なかなか女性のお相手が務まらなかったという性癖の持ち主でした。
 
これ、世継ぎが必要な将軍家としては、一大事ですよ!
 
正室は、公家の姫君なので、気後れして無理だったでしょうし、そもそも徳川家は正室を公家から迎えても、世継ぎを産ませることはありませんでした。公家の力が政権に及ぶのを、避けるためですね。
 
そうなると、世継ぎを産むのは側室というわけで、その側室選びに奔走したのが、乳母の春日局でした。
 
もう、何がなんても、世継ぎが必要だったので、家光がその気に入りそうな女性なら誰でもいいという感じです。
 
女らしくない恰好をしていた尼僧にちょっと気がありそうと思えば、還俗させて側室にしたり、気の利く娘なら八百屋の子でもOKというありさまです。
 
そして、その八百屋の娘「お玉」が産んだ子が、5代将軍綱吉となるのです。
 
庶民の娘が将軍の母になるという大出世をしたことから「お玉さんの輿入れ」=「玉の輿」という言葉ができました。
 
我が娘も、実力次第では、「玉の輿」と、母親たちが、自分の娘に高い教養をつけさせたのもわかる気はします。

 

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武家奉公は、玉の輿への近道

 

 
何をもって玉の輿というかは、難しい所ですが、武家に奉公にでた女性は、武士の妻となる希望が持てました。
 
例えば、大きな大名の側室となったり、その家臣の妻になった人がいるのです。
もちろん、人数は少なく、100人に1人程度だったようですよ。
 
でも、そこまでは望まなくても、裕福な商人の妻になるという希望は持てました。
 
なぜなら、武家に奉公にあがった娘は、奉公が終わって実家に戻るときには、何枚ものよい着物と、嫁入り道具もいくつか賜ったのです。
 
そして、もっとも重宝されたのは、武家屋敷に奉公に出ると、町人とはまったく違う武家の礼儀作法を身につけることができたのでした。
 
これが、女子のステータスを、ぐーんと押し上げたのです。
 
大きな商家では、多くの奉公人を使い、ときには妻が主人の代わりに同業者との談合に出向くこともありました。
 
そのため、しっかりした礼儀作法や言葉遣い、人とのそつのない対応ができる女性を、妻として迎えたいと望まレなのですね。
 
大奥や武家屋敷に奉公にあがるには、面接と実技の試験がありました。
実技は、踊りや三味線、琴などで、成績が「上」「中」「下」となります。
 
その後、数回にわたって面接があり、「中」でも受け答えがよければ採用されることがあったそうです。
 
なんだか、現代の就活と変わらないような気がしますね。
 
この実技試験は、芸事なので、体得するのに年数がかかります。
ですから、娘たちは、小さい頃から、習い事にいそしんだのでした。

 

おわりに

 

 
江戸の教育について、いろいろ見ていくと、やっぱり江戸は都会だなあと思えます。武家屋敷がたくさんあるというのが、地方と大きく違うところでしょうか。
 
大名・旗本は、町方から女性の奉公人を雇う場合、「芸事をたしなんでいること」というのが、採用条件の1つだったのです。
 
それが、商家の奉公人の採用条件と、まったく異なる点ですね。
 
でも、芸事をたしなむ人が増えると、踊りやお芝居に関心が高まり、ひいては、文化芸術の発展にも貢献するので、よいことだと思います。

 

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