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こんにちは。
元祖オリンピック、古代ギリシアで開催されていた「古代オリンピック」は、392年のキリスト教国教化で禁止されることになりました。
それから、1500ほど後、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵という人が、古代オリンピックの意義に注目しました。
そうして、彼はパリ・ソルボンヌの講堂で、後に歴史に残る演説をしたのです。
目次
オリンピックの復興はフランス人が提唱
1892年、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵が、ソルボンヌの講堂で、もう一度古代オリンピックのような祭典を行おうという演説をしました。
日本は明治時代、伊東博文内閣の頃ですね。その2年後、日清戦争が勃発します。
クーベルタン男爵の演説は「ルネッサンス・オリンピック」と呼ばれ、その演説に共鳴した国々が集ってオリンピックの復活に向けて動きだしていったのです。
第1回オリンピックがアテネで開催
ついに、1896年、ギリシャの首都「アテネ」で「第1回オリンピック」が開催されました。
「第1回オリンピック」の競技種目は、陸上、水泳、体操、レスリング、フェンシング、射撃、自転車、テニスの8種目42競技でした。
開催サイクルは「古代オリンピック」と同じ「4年に1回」です。
始めに「夏季オリンピック」が始まり、「冬季オリンピック」は1924年に、フランスのシャモニーで開催されました。
パラリンピックの第1回目は、1960年のローマ大会です。
「近代オリンピック」の夏季大会は、現在まで32回開催されて、第33回目が2020年の「東京オリンピック」になります。
戦時中オリンピックはどうなった?
1914年、第一次世界大戦が起こり、オリンピックは大きな試練の時を迎えました。
この戦争は多くの国に影響を与えたため、1916年の「第5回ベルリン大会」は中止になってしまったのです。
でも、その次、1920年の「第7回アントワープ大会」は、平和の祭典を意識して行われました。そして、このアントワープ大会から「オリンピック旗」が使われるようになったのです。
オリンピック旗は、オリンピックの象徴ですね。日本では「五輪」と呼ばれています。
この5つの輪は、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、アジア、オセアニアの「5つの大陸」を意味していて、それぞれが重ね合って「世界平和」を表しています。
オリンピックマークを作ったのも、オリンピックの提唱者ピエール・ド・クーベルタンでした。このマークは、彼が古代オリンピックの五輪の紋章をヒントにして作ったのだそうですよ。
オリンピックは、実は始まった頃は、万博と同じときに行われたこともあって、万博のおまけ的な感じで影の薄い存在でした。
でも、委員会や関係者の努力で、選手村が出来たり、開催期間が長くなったり、聖火リレーが始まったりして、どんどんイベント性が高まり、整備されてったのです。
日本初参加は何回目のどの大会から?
1892年から始まった近代オリンピックに、日本はいつから参加したのでしょう?
日本は1912年の「第5回ストックホルムオリンピック」から参加しています。
でも、この大会での日本の代表選手は、たったの2人!
短距離走の三島弥彦(みしまやひこ)さんと、マラソンの金栗四三(かなくりしそう)さんでした。
2019年NHK大河ドラマ「いだてん」の主人公さんですよ。
競技途中で金栗が消えてしまった?
初めてオリンピックに参加した日本の選手は、大変な思いをしてストックホルムに到着しました。
いろいろ無理が重なっていたのでしょう。
金森は、競技のマラソンの本番中に、姿が見えなくなってしまったのです。
「金栗はどこへ?」
「消えた日本人の謎!」
実は、彼はマラソンの最中、日射病(熱中症?)になって倒れてしまい、近くの農家で介抱されたのでした。いつまでたっても彼はゴールしなかったので、現場では「金森はどこ行った?」と騒ぎになったのでした。
この年のマラソンは苛酷な状況だったようで、他にもあちらこちらの農家で休ませてもらった選手がいたそうです。
金栗さんは、倒れて失神してしまい、目を覚ましたのはなんと翌日でした。
だから、マラソンは完走できなかったのです。
彼は次のオリンピックでリベンジしようと思っていたのですが、ベルリンで行われるはずだったオリンピックは、第一次世界大戦の影響で中止になってしまいました。
それでも、彼はめげずに1920年の「アントワープオリンピック」と1924年の「パリオリンピック」にも日本代表として参加しました。
この人は、なかなかドラマティックな人生を歩んだ人ですよ。
2020年の東京オリンピックの前に、この「いだてん」が放送されるのは、日本が初めてオリンピックに参加したときの事を、みんなで知ろうということなのでしょう。
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