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こんにちは。
 
 
今回は悪名高い「生類憐みの令」を発布した「犬将軍」こと徳川綱吉についてお伝えします。
 
 
彼の時代、江戸は社会的な転換期を迎えました。
 
 
「元禄バブル」と呼ばれる好景気に浮かれ、江戸が大都市として繁栄した時代の将軍様です。
 
 
これまで1日2食だったのが1日3食食べるようになり、食の目的がお腹いっぱい食べることからよりおいしい物を食べることへと変わった豊かな時代です。
 
 
彼は通説どおりのバカ殿だったのか、まずは簡単な生い立ちから見ていきましょう。

 
 

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4男だったのに将軍になれたラッキーマン

 

 
徳川綱吉は、三代将軍家光の4男として誕生しました。
 
 
もう泰平の世ですから、4番目ともなると将軍職が回って来る確率は低いです綱吉は成人すると館林藩主に就任しました。
 
 
ところが、家光の嫡男・4代将軍の家綱が、男子をもうけないまま40歳で亡くなったのです。
 
 
次男、三男はすでに亡くなっていて、次の家光の直系血族は綱吉になりました。
 
 
なんと父・家光が亡くなってから29年後に綱吉の前に将軍職が舞い降りてきたのです。彼が35歳のときでした。
 
 
将軍になる予定のなかった綱吉は、学問が大好きで、能楽、書画、そして儒学の教えがお気に入りという文化系の将軍でした。
 
 
そして、気難しくて言い出したら聞かない、潔癖で思い込みの激しい人柄だったのです。
 
 
彼は儒学を深く学び気に入っていたので、「徳」を重んじる文治政治を推し進めます。
 
 
その政治は、始めは「天和の治」と呼ばれるたるんだ幕政を引き締めたよい政治だったのです。
 
 
その後、綱吉に意見できた大老の堀田正俊が亡くなり、牧野成貞(まきのなりさだ)、柳沢吉保(やなぎさわよしやす)側用人システムを導入するようになってから、雲行きがあやしくなっていきます。
 
 
側用人(そばようにん)というのは、将軍直属の秘書のような役職で、大老や老中たちと将軍の間を取り持つ役目でした。
 
 
これを置くことで、将軍の独裁色が高まったのです。側用人には、家柄を問わず、綱吉が選んだ有能なお気に入りが就任しました。
 
 
そうして、悪法と評される「生類憐れみの令」を発布し江戸の町を混乱させてしまったのでした。「生類憐みの令」は、犬の愛護で有名ですが、130以上のお触れに発展し、内容もどんどん過激にエスカレートしていったとされています。
 
 
また、このころ火事や地震に富士山の噴火、それによる飢饉と災害が立て続けに起こりました。当時は天変地異が起こるのは、悪政によるものと信じられていたのです。
 
 
こうして、綱吉の悪評はどんどん高まっていきました。そして、その混乱を立て直すことのできないまま、彼は麻疹(はしか)にかかって江戸城で病死したのです。享年64歳。

 
 

「生類憐みの令」とは?

 

 
元禄時代、好景気に浮かれた江戸の町には野良犬があふれていました。
 
 
野良犬に襲われるものも多く、身を守るために犬を撲殺することが多かったそうです。
 
 
それを知った綱吉は「生き物は大事にせにゃならん!」と怒り、動物を大事にする法令を出しました。
 
 
「生類憐みの令」とは、綱吉が出した130余りの動物愛護法令の総称なのです。
 
 
元は儒教の精神からきているので、中には「病人、老人、子供など弱者を労わろう」という福祉的な項目もあったんですよ。
 
 
動物愛護も始めは「野良犬の虐待禁止!」というまともな法令だったのですが、なぜかどんどんエスカレートしていったのでした。
 
 
たとえば、子犬を井戸に投げ入れた武士が打ち首になったり、野良犬に襲われて正当防衛でその犬を斬った武士は江戸追放となりました。
 
 
そのうち、犬だけでなく金魚や蚊(か)まで殺生禁止となり、庶民の娯楽の魚釣りも禁止されたといわれます。(通説)
 
 
幕府内からもこれはおかしいだろという意見は出たのですが、綱吉は廃止しませんでした。
 
 
彼が亡くなった後、次の6代将軍家宣は、就任10日目にして速攻廃止したそうです。
 
 
こんな法令が実に24年間も続いたというのだから、妙に浮かれた時代だったのは間違いないでしょう。
 
 
【関連記事】⇒★「生類憐みの令」は良い法令だった?

 
 

ささやかれるマザコン説

 

 
綱吉の母はもともと身分の低い京都の野菜売りの娘で名を「お玉」といいました。
 
 
彼女はとても美しい女性で、スカウトされ江戸城の大奥で侍女として働くことになり、さらに3代将軍家光に見初められて側室となったのです。
 
 
「八百屋の娘が将軍の母君に大出世!」
 
 
ということで、お玉さんの乗った輿(こし)にあやかって「玉の輿」という言葉が生まれたのでした。
 
 
「お玉」は家光亡き後、仏門に入り「桂昌院(けいしょういん)」と名乗りました。
 
 
息子の綱吉は身分の低い自分の子でしかも4男でした。一方、嫡男の兄・家綱(いえつな)は、将軍家を継ぐべく帝王学を学びながら江戸城内で育てられました。
 
 
綱吉は父の家光に会うことなどめったになく、神田の屋敷でろくに外出もできないまま、母とべったり一緒に暮らしていました。
 
 
そういう幼少期の暮らしから、この母子が精神的に密着していたのではないかといわれるのです。「生類憐みの令」は、この母の入れ知恵だったとも伝わります。
 
 
母の桂昌院は、綱吉に世継ぎが生まれないことを気に病み、知足院住職・隆光に相談しました。
 
 
すると、隆光は綱吉が前世に動物を殺生したのがその原因だといい、桂昌院がそれを信じ込んだのです。
 
 
そして、まずは綱吉が「戌年」だったことから、「犬を大事にすべし」というお触れを出すようにと息子にすすめたのでした。
 
 
母が真心からそう言っていると確信した綱吉は、そんな母のすすめを無下にはできません。
 
 
母の意見を聞いて悪法と呼ばれる「生類憐みの令」を出したということで、綱吉はマザコンだったと言われるのです。
 
 
でも、実はこの通説、ここまで書いてなんですが、かなりウソくさい逸話なのでした!
 
 
お玉が京の八百屋の娘というのは確かですが、母と坊主が悪法の黒幕だったというのは、お玉に対するやっかみから出た噂話らしいです。
 
 
恐ろしいものは「人の心」ということでしょうか・・・

 

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綱吉はすごく背が低かった?

 

 
綱吉についてよく話題にされる特徴は、120㎝ぐらいの低身長だったということです。
 
 
当時の男性の平均身長が155㎝ぐらいなので、かなり低いですね。
 
 
その根拠は、徳川の菩提寺・大樹寺(だいじゅじ)に置かれている位牌の高さにありました。
 
 
大樹寺という愛知県の浄土宗のお寺には、歴代将軍の位牌が安置されています。
 
 
そして、その位牌の高さは、故人の身長と同じ高さなのだそうです。家康の位牌は159cm、家光が157cmの位牌です。
 
 
そして、並べられた綱吉の位牌の高さは124cmなのです。
 
 
「位牌の高さ=身長」って本当なの?と思いますが、徳川家では遺骨の学術調査も行われていて、確かに遺骨と位牌との差はほとんどないと証明されているのです。
 
 
でも、もしかしたら、綱吉アンチの次の将軍6代家宣が、意地悪でわざとこうしたという説もあります。
 
 
どうなんでしょうね。

 
 

忠臣蔵の元ネタ「赤穂事件」が起こった

 

 
日本の三大仇討(あだうち)の1つ、赤穂浪士(あこうろうし)による仇討事件は、この綱吉の時代に起こりました。
 
 
1701年3月14日、江戸城内で勅使饗応役だった浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が指南役の吉良上野介(きらこうずけのすけ)を斬りつける「松の廊下の刃傷事件」が起こったのです。
 
 
殿中で起ったこの刃傷沙汰に綱吉は激怒し、浅野内匠頭は即日切腹に処せられ、赤穂藩はお取りつぶしとなりました。
 
 
お家が断絶、つまり勤めていた会社が倒産したようなものなので、家臣たちはみな浪人になりました。
 
 
将軍が浅野内匠頭だけを処罰し喧嘩両成敗にしなかったという片手落ちの処分は江戸庶民にも伝わり、世論は将軍への非難にわきました。
 
 
そうして、赤穂浪士たちは二年近くたった元禄15年(1703年)12月14日 、吉良邸討ち入りを決行したのです。
 
 
その後綱吉は、彼らの処分に1カ月以上かけて識者の助言を仰ぎました。
 
 
つまり、死罪にするか、切腹にするか、助命するかの3択です。そして最終的に「切腹」に決めたのでした。
 
 
この仇討事件は武士道あっぱれということで、「忠臣蔵(ちゅうしんぐら)」という題目になり、能や文楽(人形浄瑠璃)や歌舞伎で演じられています。
 
 
現代でも時代劇などになってるので、ご存知の方も多いでしょう。

 
 

徳川綱吉の簡単年表

 

 
・1646年(1歳)
3代将軍・徳川家光の4男として誕生。
母は「お玉」。
 
・1651年(6歳)
父・家光が病没。
→兄の家綱が4代将軍に。
 
・1653年(8歳)
元服し綱吉と名乗る。
 
・1661年(16歳)
館林藩主として所領25万石の大名に。
 
・1680年(35歳)
5代将軍に就任。
 
・1684年(39歳)
大老・堀田正俊が若年寄・稲葉正休にて刺殺される
 
・1687年(42歳)
「生類憐みの令」発布。
 
・1691年(46歳)
湯島聖堂を建立。
 
・1709年(64歳)
病没。
 
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