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「源平の合戦」は日本史上大きな意味のある合戦でした。紅白歌合戦、紅白の運動会はちまきなどの「紅白」の由来は、この合戦の両軍の旗色です。紅が平氏、白が源氏です。
 
 
なによりこれ以降、日本は「武士の時代」、武士が政治を司る時代に変わりました。
 
 
この戦いの参加者は、「平家物語」の中にたくさん登場します。「平家物語」は、物語なので脚色されていますが、それでいっそう面白さと臨場感が伝わるのです。
 
 
はじめて読んだのは、古典の教科書に載っていた「木曽殿最期」(木曽義仲の最期)です。
 
 
素朴で計算高くなく、後白河上皇にあっさり見捨てられて、従兄弟(源頼朝)の軍に討たれてしまう、悲劇的な最期が物語的にとてもよいです。
 
 
そして、なにより義仲と今井(四郎)兼平、その妹・巴(ともえ)との主従を超えた同志愛に打たれました。
 
 
最近、ちょうど娘が高校で同じように習っていて、この話で盛り上がっていたんです。妙なものに萌えるヘンテコ母子なのでした。
 
 
今井四郎も捨てがたいのですが、今回は、木曽義仲と巴御前の体育会系カップルについて、お伝えします。
 
 
「平家物語」「源平盛衰期」をベースにお伝えしするので、史実に即してないところもあります。

 
 

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最強カップルは幼なじみ

 

【Wikipediaより引用】

 
木曽義仲は、木曽が苗字みたいになっていますが、「源氏」です。父親が、源義賢で、源頼朝の父・義朝の弟でした。
 
 
つまり、源頼朝・義経の従兄弟です。
 
 
1155年、義仲の父が源氏の内輪もめで討たれました。そのときまだ2歳だった義仲は、乳母とその夫・中原兼遠にかくまわれ、その子供たちと一緒に野山を駆け回って育ったのです。
 
 
その兼遠の子供たちの中に、「平家物語」の「木曾の最期」で最期まで義仲に付き添う「今井四郎・巴御前」兄妹がいました。
 
 
巴(ともえ)は、兄弟たちと一緒に信濃の野山を駆け回り狩猟にも参加するアマゾネス(?)でした。
 
 
巴と義仲は、兄妹同様に同じ家で育った幼なじみだったのですね。
 
 
この最強カップルというのは、私の独断と偏見によりますので。
あしからず……。(´・ω・)

 
 

京の都は平家が驕っていた

 

 
12世紀初頭、京の都は「平氏」に牛耳られてしました。
 
 
「平家にあらずんば人にあらず」
 
 
なーんて事を平気でいう、空気読めない変な奴(平時忠)まで出る始末です。
 
 
我慢できなくなった、後白河上皇の息子・以仁王(もちひとおう)は、ついに、全国各地の武士に向けて「平家討伐」の令旨を出しました。
 
 
それを受け取った木曽義仲は、信濃源氏を名乗り武装して上京します。そのとき、も鎧兜を身につけ、同行したのです。

 

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倶利伽羅峠の合戦

 

 
木曽義仲は、倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦いの勝者です。この合戦は、「平家物語」の中でも大きな見せ場の1つです。
 
 
倶利伽羅峠の場所は、富山県と石川県の間、ここで、平維盛の兵10万を、撃退したのでした。
 
 
この合戦は主に夜襲で、平家の大軍を大混乱させたのが勝因でした。
 
 
でも、敗者の平維盛もなかなか興味深い人なんですよ。
 
 
平清盛の孫・重盛の子で、「美貌の貴公子」とも呼ばれます。「平家物語」では美少年といえば平敦盛ですが、この方もなかなかの伝説を残しております。
 
 
それはそれは美しい貴公子で、「今昔見る中に、ためしもなき」「容顔美麗、尤も歎美するに足る」などと、絶賛されているのです。
 
 
義仲のワイルドな魅力と対極の「美」ですね。
好対照です!
 
 
ちなみに、この戦で義仲と共に戦った巴御前は、大将として1軍を任され、敵将7騎を討つ大手柄を立てました。

 
 

功労者のはずが追われることに?

 

 
木曽義仲は、「平家物語」前半のヒーローの1人です。真っ先に都入りし、平家を京都から追い出した功労者・・・のはずでした。
 
 
しかし、義仲の軍は都の人々から見れば野蛮な田舎者で、都の庶民に乱暴を働く者も多かったそうです。
 
 
また、義仲が備前で平家に大敗したこともあり、うっとおしくなった後白河上皇は、あっさり義仲を見捨てて源頼朝・義経に乗り換えたのでした。
 
 
そして、反目し合っていた源頼朝・義経兄弟に義仲は追われることになったのです。
 
 
木曽義仲は同じ「源氏」の軍に追われ、ついに近江国で最期を迎えました。それが、古典で習う「木曾殿最期」のシーンです。
 
 
300騎いた義仲の軍は、とうとう5騎になってしまいました。その中には、巴御前も残っていました。
 
流石です。
守られていたとは思いますが、彼女の強さは本物でしょう。
 
 
「色白く髪長く、容顔まことに優れたり。強弓精兵、一人当千の兵者(つわもの)なり」と称えられた女傑です。
 
 
色白美人ですごく強かったそうですよ。妄想を楽しむためにも、そういうことにしておきましょう。
 
 
ちなみに、戦国時代までは騎乗して男性と共に戦う女性武士の姿は、そんなに珍しくはありませんでした。
 
 
これで最期と覚悟を決めた義仲は、巴に落ち延びるように言い聞かせます。最期まで共にありたいと思っていた巴ですが、主君の命なのでしぶしぶ従いました。
 
 
そして、「木曾殿(義仲)に、最期の軍して見せ奉らん!」といい、怪力で名高い・鎌倉方の御田八郎師重の首に一瞬で飛びついて、それを素手でねじ切って捨ててしまいました
 
 
おおおおおおおおおっ! ほんとですか?
すごい怪力!
 
 
その後、巴は、義仲と数秒見つめ合い、愛馬「春風」に乗って風のように走り去ったということでした。

 
 

おわりに


 
巴御前の去り方は、最期まで、本当に清々しい潔さを感じます。
 
 
木曽義仲は、恋人を見送った後、今井兼平とたった2騎になりました。今井兼平は巴の兄で義仲の義兄弟です。
 
 
義仲は敵に囲まれ兼平を案じて後ろを振り返ったその瞬間に、額に敵の矢を受けて果てました。享年31歳でした。
 
 
義仲には他にも葵御前、山吹御前などの愛妾がいました。でも、大将として共に戦い、生き延びたのは巴御前だけです。
 
 
彼女には、清々しい潔さと真っすぐに伸びる生命力を感じます。
 
 
この話がずっと古典の授業で習うエピソードの1つというのが、なんだかとってもうれしいのでした。

 
 
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