「応仁の乱」の原因の1つ・台頭する「国人」「足軽」とはどういう人々か

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こんにちはー♪
 
今回も「応仁の乱」について、お伝えします。
 
応仁の乱は、すごく分かりにくいのですが、日本の歴史の中でとても大切な乱だと思うので、すごく興味があるのです。私は、みんなにダメといわれる将軍・義政が結構好きなんですよ。
 
応仁の乱が重要というのは、この乱で日本の社会システムや、身分制が大きく変わったからです。
 
これまでの荘園制度が崩壊し始めて、守護大名たちが次第に力を失っていきました。そして、それに代わって力をつけてきたのが、国人(こくじん)と呼ばれる人々でした。
 
今回は、「応仁の乱」が長引く一因となった「国人」の台頭と、「足軽」ができたことついて、お伝えします。

 

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「国人」とは、どういう人たちなのか

 

 
まず、応仁の乱の原因をおさらいしておきます。
(何度もしつこくてすみません)
   ↓
(1)将軍家の世継ぎ問題
(2)畠山家・斯波家の家督争い
(3)守護大名・国人たちの争い

 
応仁の乱は、畠山家・斯波家という2つの守護大名の家督争いが発端でした。それに、国人と呼ばれる人たちの領地争いがからんで、どんどん泥沼化していったのです。
 
国人たちは、それぞれ東軍・西軍に組して戦いましたが、決して細川勝元や山名宗全に忠誠を誓っていたわけではありませんでした。彼らは自分たちの利益しか考えず、有利な方についたので、風向きが変わると、平気で敵側に鞍替えすることもありました。
 
国人というのは、簡単にいうと、地方の在地領主のことです。
それぞれの土地に土着している人々の中の有力者が、国人と呼ばれる人々なのです。ですから、元は、農民に近い存在でした。
 
所領争いが激化するうちに、国人は戦いに慣れてきて、次第に武士化していきます。そして、領土内の農民や地侍を従えながら、だんだん大きな勢力となっていったのです。
 
もともと室町時代の「地頭」や「荘官」が、国人になった例も多いのです。
例えば、中国地方の毛利家は、地頭から国人になり、戦国大名へと勢力を拡大しました。
 
守護大名に代わって力をつけてきたのこの国人たち(地元の武士)の中から、領国を一元支配する戦国大名が出現したのでした。

 

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「足軽」の誕生

 

 
応仁の乱は、始めの1年を除くと、戦国時代のような大規模な戦いは起こりませんでした。でも、それは、終わった後だからいえる結果論で、当時は、いつ大きな戦いが起こるか、誰にも分らなかったのです。
 
ですから、東軍・西軍ともに、できるだけ多くの兵力を確保したいと考えていました。
 
そのとき、彼らがとった策が、現地で兵力を確保することだったのです。
そして、農民だけではなく、流民や盗賊なども、臨時的に雇い入れました。普通に考えると、後々面倒な事になるよと思うのですが、お構いなしです。
 
これらの人々は、軽装で戦場を素早く走り回ったため「足軽」と呼ばれるようになったそうです。「足が軽い」から足軽って、そのまんまです。
 
足軽には一応組織があり、数十人から数百人単位の組に分かれて、リーダーに率いられていました。
 
でも、もちろん武器も装備もあまりなく、ろくに戦闘訓練も受けていない人たちばかりです。自然に、足軽の戦法は、ゲリラ活動が主になっていったのでした。

 

「足軽」の暴動が、都が焼け野原になる一因だった?

 

 
11年にもわたる応仁の乱の主力は、これら足軽でした。
 
彼らには、一応組織はありましたが、もともと寄せ集めの集団で、ならず者や盗賊も含まれていたのです。ですから、戦いのどさくさに紛れて略奪行為を行うことも、たっくさんありました。
 
足軽の目的は、家督争いでも、所領争いでも、武功を挙げることでもありません。彼らの目的の多くは、ただ、金品を奪うことだったのです。
 
戦いとはまったく関係のない敵のいない家屋を破壊して、略奪することも、たびたびあったそうですよ。何のための兵力やらですね。
 
目に余る狼藉に、足軽を雇っていた山名宗全が、略奪行為を取り締まる法を出したほどでした。
 
公家の一条兼良は、足軽のことを「ひる強盗」と呼び、神社仏閣の荒廃は、彼らのせいだと記しています。この人は、めっちゃ怒ってますよ。

 

まとめ

 

 
★国人とは、各地の土着の有力者のことです。地頭や荘官だった者もいました。
 
彼らは、農民の中の有力者でしたが、次第に、武力化して勢力を拡大していきました。中には、守護を滅ぼし、戦国大名となったものもいます。
まさに、下剋上ですね。
 
★足軽は、応仁の乱のとき、東軍・西軍が兵力として雇った下層階級の者です。
 
農民だけでなく、流民や盗賊なども含まれました。なんでもありの寄せ集め集団です。
 
戦いによる焼失だけでなく、足軽の略奪行為も加わって、京の都は、焼け野原になります。
 
今現在、私たちが京都で見る神社仏閣のほとんどは、応仁の乱の後、再建された建物なのでした。清水寺も金閣寺も八坂神社も、伏見稲荷大社まで、焼け落ちています。
 
応仁の乱によって、日本は、それ以前の荘園制度が崩壊し、守護も地頭もなくなります。
 
これまでの社会システムと身分制が崩壊し、新しい時代、新しい仕組みの国になっていったということです。
 
応仁の乱は、そんな歴史のターニングポイントだったのです。

 

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