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こんにちは。
 
 
維新三傑の大久保利通は、冷徹な政治家という印象があります。でも、その一方、できるだけ子供たちと過ごす時間をできるだけ作っていたという子煩悩な一面も知られている人でした。
 
 
暗殺されるその日の朝も、かまってほしがる子供たちを振り切って、出仕したのだそうですよ。
 
 
そんな大久保利通は、岩倉使節団の一員として欧州の進んだ文化を見聞きし、その進んだ文明に愕然とします。そして、日本もこれに追いつかねばと強く思い、自ら進んで衣食住を欧州風に変えていったのです。

 
 

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欧州風ブレックファストで朝が始まる

 

 
大久保利通は、若いころからそんなに丈夫ではありませんでした。郷中教育は武芸を重んじる教育でしたが、大久保はどちらかというと文化系の頭脳派として知られていました。
 
 
明治維新になると、激務からか常に胃の調子が悪かったそうです。
 
 
そんな彼が好んだ朝食は、ヨーロッパ風ブレックファスト
 
 
朝から、パンと濃いめの紅茶、玉子に砂糖とブランデーを混ぜたものや、オートミールを食べていたのだそうですよ。
 
 
元々、洋食が口に合ったのか、はたまた西洋の食材を普及させる立場上そうしていたのかはわかりませんが、当時としてはかなりハイカラですね。
 
 
そんな大久保利通ですが、好物は、貧しい幼いころ、みんなと分け合って食べた郷土のお祝いの五目寿司だったそうです。

 
 

好物の「薩摩の酒すし」は豪華なちらし寿司

 

 
大久保利通の好物は、薩摩のちらし寿司でした。
 
 
彼は、鹿児島の下加治屋町という70戸ほどの下級武家屋敷町で育ちます。
幼なじみには、西郷隆盛、有村俊斎、大山格之助、有馬新七、村田新八などがいました、
 
 
西郷隆盛の従兄の大山巌、東郷平八郎などもこの下加治屋町の「郷中」出身です。
「郷中教育」は、すごい身内びいきの激しい教育制度だったので、その影響もあるのでしょう。
 
 
明治時代になり、大久保は政府の参議に就任します。忙しい政務の中で、この郷土のお寿司を食べ、昔を懐かしむことがあったでしょうか?
 
 
薩摩の郷土のおすしは、「酒ずし」「さつますもじ」という2種類のお寿司がありました。
 
 
「酒ずし」は、島津のお殿様が召し上がった豪奢なもので、お酢の代わりに「灰持酒(あくもちざけ)」というお酒を用います。
 
 
お米がふっくらとして、風味よく仕上がるのです。すし飯の上にあしらうものも、エビやタイ、干しシイタケ、ゆでタケノコ、さつま揚げ、薄焼き玉子など豪華な食材です。
 
 
「さつますもじ」は、庶民がひな祭りのときなどに身近な食材を使って作る薩摩風五目ずしです。
 
 
大久保利通は、五目ずしを自分で作って家族にふるまうこともあったそうですよ。
 
 
どちらも、少し焼いたさつま揚げを乗せるところが、薩摩風なのでしょうね。
 
⇒薩摩のもう1人の英雄西郷隆盛の「好物」は意外な人と同じですよ~♪

 
 
 
【参考:『幕末維新メシ』(NHKテキスト趣味どきっ!)】
 
 

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