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こんにちは。
 
 
上野にある西郷隆盛の銅像は、愛犬がそばに寄り添っていますね。
 
 
西郷隆盛は、「愛犬家」でたくさん犬を飼っていたそうです。戦場にも連れて行っていたほどですから、確かに好きだったのでしょう。
 
 
でも、もともと犬を飼うようになったのは、親類から引き取ったのがきっかけで、実用的な理由もあったようです。
 
 
1つは、運動不足解消のため散歩のお供にしたことと、もう1つは、大好きな「うさぎ狩り」の猟犬として連れていたことでした。
 
 
西郷隆盛は、薩摩で山の中に入って「うさぎ狩り」をするのが趣味でした。
 
 
うさぎを追ってそのお肉を食べるより、うさぎの皮をふんどしにするのを好んだと前にテレビの特集で言われてました。
 
 
うさぎ飼歴9年の私としては、なんだかフクザツです。
 
 
動物の皮は保温性抜群ですし、ラビットファーはふさふさですけど・・・

 
 

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(1)犬好きの始まりはメタボ解消のため?

 

 
西郷隆盛は、中年以降、ぶくぶくぶくぶく太ってしまいました。
 
 
彼の場合、太って激やせしてまた太ったという典型的なリバウンドをしているので、中年以降はかなり内臓脂肪の多いメタボだったと思われます。
 
 
若い頃はがっしりとしたお相撲さんのような肥え方で、体格は大きくても筋肉質で健康的でした。
 
 
問題は奄美大島に行きついた頃からです。
 
 
奄美大島で2番目の妻・愛伽那と一緒に暮らしたとき、美味しい物をたくさん食べてぶくぶく太っていったそうです。薩摩が心配とはいえ、藩政から遠ざかっていたので、ストレスが少なくのんびりできたのでしょう。
 
 
その後、薩摩に戻って藩に復帰しましたが、島津久光を激怒させ島流しになってしまいます。
 
 
そうして沖永良部島に流されたとき、西郷隆盛のいた場所は不衛生で与えられる食糧も少なく、ガリガリにやせてしまいました。
 
 
このころフィラリアに寄生され、それが後々まで陰嚢水腫という後遺症として残りました。
 
 
その後、西郷隆盛は再び薩摩藩に戻れました。彼は美味しい食べ物が大好きで、鹿児島や京都で美味しい物をどんどん食べ、どんどん太っていったのです。
 
 
西郷隆盛は下戸(お酒は飲めなかった)だったのですが、甘い物やうなぎ、豚肉料理が大好きで、とにかく大食いだったそうです。
 
 
明治維新後にはそのまま明治新政府の要人となり、大久保たちがそろって「岩倉使節団」として欧州に遊学していたとき、西郷は留守役として残り若き明治天皇と親しくなりました
 
 
その明治天皇が、西郷が歩くだけでもふうふう言っているのを本気で心配して、ドイツ人の軍医に減量指導を受けさせたほどでした。

    ↓
 
ドラマでは描かれない西郷隆盛★肥満体で寄生虫によるヤバイ持病あり!
 
 
一時的には、減量に成功したようですが、またリバウンドしていったようです。征韓論争などでイラっとすることが多く、ストレスがたまっていたのでしょうね。
 
 
やがて薩摩に下野すると、今までよりずっとゆっくりする時間ができました。そうして、西郷隆盛はのんびり犬を連れて、散歩(ウォーキング)やうさぎ狩りなどの運動できるようになったのです。

 
 

(2)大好きな「うさぎ狩り」の猟犬として連れていた

 

 
西郷隆盛は、若いころから「うさぎ狩り」が趣味で、大好きでした。
 
 
鹿児島に下野してから気に入ってずっと連れ歩いていた犬がいました。
 
 
それが「ツン」という名のメス犬です。
 
 
西郷隆盛は西南戦争の前ごろには、10匹以上も薩摩犬を飼っていました。
 
 
鹿児島の霧島では、西郷隆盛が散歩の途中に声をかけてきて、とてもよい犬だからその犬をゆずってくれないかと言われた人もいたそうです。
 
 
すごい貫禄だったので、嫌とは言えなかったとその親類の人がテレビ番組で答えていました。
 
 
そして、運動をかねた狩りで得たうさぎは、肉と内臓は食べて、毛皮はふんどしにしたのでした。
 
 
1877年の西南戦争の際、西郷隆盛は戦場にも2匹の愛犬を連れて行ったと伝わります。
 
 
この最大の「士族の反乱」は大きな戦いになりました。戦いは明治政府軍が優勢となり、西郷隆盛の薩摩軍は「城山の戦い」で追い詰められました。
 
 
もはやこれまでと思った西郷は、そこで連れていた2匹の犬の首輪を外して、逃がしてやったのでした。
     
 
鹿児島では、そのうちの1匹は地元の人に「西郷さあ」の犬ということで大事に飼われることになり、もう1匹は遠く離れた西郷隆盛の家まで戻りついたと伝わっています。

 

 

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(1)銅像の犬は薩摩犬の「ツン」で間違いない?

 

 
西郷隆盛が鹿児島に下野してからたくさん飼っていた犬の犬種は、「薩摩犬」と呼ばれる鹿児島原産の犬でした。
 
 
薩摩犬はもともとイノシシを捕る猟犬として活躍していた、気性の激しい猟犬でした。
 
 
今では薩摩犬の純血種はほぼ絶滅してしまったそうですが、短毛の中型犬で純血の日本犬らしい容貌をしていたようですよ。
 
 
上野公園の西郷隆盛の横に立つ犬の像は、彼がかわいがっていた「ツン」という名の犬ではないかと思われていましたが実は違います!
 
 
なぜなら、ツンはメス犬だったのですが銅像の犬はオス犬だからです。
 
 
目視したらわかるってことですね。( ̄▽ ̄)
 
 
私は、当面、東京に行く予定はないので、確認できる人はチェックしてみてくださいませ。
 
 
じゃあ、そのオス犬は、何という名前だったのでしょうね。
 
 
でも、東京上野の西郷さんの銅像は、西郷隆盛も奥さんが全然違うというぐらいなので、「西郷=犬を連れてる」という情報だけで適当に作ったのかもしれませんね。
 
 

西郷隆盛がツンをとても気に入っていたのは、ツンがうさぎ狩りの名人でもあったからだそうです。
 
 
もともとツンがうさぎ狩り名人だったので、西郷隆盛が東郷町藤川に住む前田善兵衛に頼んで、ゆずってもらったのだそうですよ。
 
 
上野の銅像はツンではありませんが、ツンの銅像は鹿児島にあります
    ↓

【出典元:http://www.kagoshima-kankou.com】

 
 
この銅像が建てられたのは、結構新しいですよ。
 
 
平成2年に、大河ドラマ「翔ぶが如く」の放映記念として建てられたのでした。
 
 
このツンの銅像は鹿児島の「藤川天神」の階段を上がった参道脇にあります。

 
 
 
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