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こんにちは。
 
 
幕末に活躍した薩摩の大久保利通は、郷土料理の「薩摩の五目ずし」が好物でした。スラッとした体型で、胃が弱く小食だった彼らしいなと思います。
 
 
⇒そのお話はこちらからどうぞ♪
 
 
一方、もう1人の薩摩の英雄・西郷隆盛は、豪快に食べることで知られています。
 
 
祇園で芸妓遊びをするより、料亭で美味しいお料理を食べるのが好き、美しい芸妓よりぽっちゃり太った中居さんが好みという、庶民的な嗜好だったようです。

 
 

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(1)西郷隆盛は「関東風うなぎの蒲焼」が好物だった

 

 
そんな西郷隆盛が好きだった郷土料理は、鹿児島の豚と黒糖を使った豚骨料理でした。肉食がタブーだった時代でも、薩摩では、豚やイノシシを普通に食べていました。
 
 
そして、京や江戸で大好きになったのが、うなぎの蒲焼(かばやき)なのでした。
 
 
うなぎの蒲焼は、関東風と関西風があります。細かい違いはいろいろあるのですが、大きな違いは、関東風は「蒸す」けれど関西風は「蒸さず」に焼くだけというところ。関東風は、蒸してから焼くので、ふっくら仕上がり適度に脂が抜けます。
 
 
西郷隆盛は、関東風のかば焼きが好きで、京都に江戸からやって来たうなぎ料理を出すお店があると聞き、よく通っていたそうです。
 
 
彼のうなぎ好きは、明治天皇もよく知っていたそうですよ。よっぽどよく食べていたか、うなぎが好きと公言していたかでしょうね。

 
 

(2)「和スイーツ」も大好きでメタボに

 

 
西郷隆盛は、かなりの肥満体でした。ドイツ軍医ホフマンに減量指導してもらって、いったんましになったものの見事にリバウンド。
 
 
それもそのはず、彼が行っていた減量法は、食事療法に加えて下剤を飲むこと、便秘だったかどうかは謎ですが、無理やり出していたんですね。
 
 
そして、やっぱり食の好みはそうそう変えられるものではありません。ストレス太りもあったのかもしれません。
 
 
彼は、おにぎりのようなお米が大好き、そして、お団子やお餅などの和スイーツも大好きだったのです。
特に、薩摩でもよく食べていた「くずもち」のようなものに黒糖ときなこをたっぷりかけたものが好物でした。
 
 
ケーキのような洋菓子に比べると、「きなこと黒糖のくずもち」なんて理想のスイーツですが、食べ過ぎるとカロリーオーバーなだけですね。それに、明らかに糖質の摂りすぎです。糖質カットしなければなのです。

 

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(3)勝海舟が忘れられない浦賀の「うなぎ」

 

 
江戸城無血開城で話し合ったもう1人の立役者・勝海舟は、チャキチャキの江戸っ子です。彼は、当初、坂本龍馬の師匠だったこともあり、海運業や航海術に強い関心がありました。
 
 
咸臨丸の船長として乗り込んだのに、船酔いで全く役にたたず、外人航海士とジョン万次郎に任せっぱなしだった話は有名です。
 
 
一緒に乗ってた福沢諭吉に、呆れられています。諭吉先生は、思想家だったので、歴史ではあまり登場しませんが、すごい人なんですよ~。なんといっても一万円札に選ばれる人ですよ。

 
 
⇒ぜひ知ってもらいたい諭吉の記事はこちらです♪
 
 
そんな勝海舟にとって、ペリーが来航した浦賀は、たいへん思い出深い地だったようです。晩年になっても、勝はときおり浦賀に行き、老舗のうなぎ割烹店に立ち寄りました。
 
 
そのお店は、浦賀港のすぐそばにあり、今では勝海舟を偲ぶ人たちのちょっとした聖地になっています。
 
 
勝海舟が好んで頼んだのは、やはり関東風の「蒲焼(かばやき)」
海が見渡せる部屋から、じっと沖合のほうを眺めながら食べていたそうですよ。

 
 

(4)勝海舟は「江戸っ子甘党男子」だった

 

 
勝海舟は、本物の甘党男子です。なんといっても、子孫の生き証人がいるのでした。玄孫の方がその母(勝海舟の孫)から、当時のことをよく聞いていたのだそうです。
 
 
勝海舟の東京の屋敷には、奥に四畳半の「お菓子部屋」なるものがあったのだとか! 孫たちも、その部屋のお菓子が楽しみで、いつももらっていたのだそうです。
 
 
その「お菓子部屋」にあったお菓子は、あんぱんにもなか、桜餅に団子と盛りだくさん。その上、洋風スイーツも好んだそうです。
 
 
勝の3男はクララというアメリカ人と結婚し、彼女がスポンジケーキやドーナツ、アイスクリームまで手作りしたので、もらっていたのだそうですよ。
 
 
晩年、榎本武揚など旧幕臣仲間が彼の家に集まって宴会を行うこともありました。そのときに、うなぎのかば焼きや団子を出すことも多かったそうですよ。
 
 
甘党とはいえ、勝海舟は普段は一汁一菜が基本で、煮物などの質素な食事を好んでいました。ですから西郷隆盛のように、肥満にはならなかったようです。
 
 
この2人、まったく性格や印象が違いますが、ほとんど下戸だったというところも共通しているんですよ。
 
 
お酒の席で親交が深まることもあったと思いますが、この2人の話し合いは、いつも素面だったということでしょう。

 
 
【参考:『幕末維新メシ』(NHKテキスト趣味どきっ!)】
 
 

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