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こんにちは。
鎖国中の江戸時代、薩摩藩は、外国と独自に交易をしている特殊な藩でした。
ですから、他の地方よりずっと海外の事情に詳しく、外国の物産もたくさん入って来ていたんですね。
陶磁器などの物産の他、外国の食べ物も入ってきました。
その1つにカステラがあります。
カステラは、もともと16世紀に南蛮菓子として日本に伝わったのですが、その後、日本で定着し、日本独自のお菓子へと進化していきました。
玉子と砂糖がた~っぷり含まれた甘いカステラは幕末の日本では特上品です。
当時、すでにカステラは、「薩摩藩の特産品」だったのです。
小松帯刀にもらった「カステイラ」の味
薩摩と長州の仲立ちをしたことで知られる坂本龍馬。
彼は、当時、幕府のお尋ね者になっていました。
そして、1866年、京都・伏見にある薩摩藩の定宿で幕府の役人に襲撃され、命からがら伏見の薩摩藩邸に逃げ込みました。この「寺田屋事件」の後、彼は気軽に京や大坂の町を歩くことが難しくなってしまったのです。
⇒坂本龍馬が襲撃された寺田屋事件はこちら♪
それで、かくまっていた薩摩藩の西郷隆盛や小松帯刀らに、京を離れて一時的に薩摩に行かないかと誘われました。
龍馬は彼らとともに薩摩に行くことにしました。そのとき妻のお龍(りょう)も連れて行ったので、後に、この船旅が「日本初の新婚旅行」といわれるようになったのです。(こじつけっぽいなと思いますけど)
薩摩の旅は、の~んびりした湯治の旅で、費用も薩摩藩持ちだったので、気兼ねなく霧島温泉でくつろげたでしょう。
霧島に行ったとき、妻のお龍(りょう)が霧島山に登りたいと言い出しました。霧島山は、男性でも登りきるのが大変な険しい山だったのですが、気の強いお龍は言い出したらきかないタチだったようで、龍馬は連れていくことにしたのだそうです。
そのとき、薩摩藩の家老・小松帯刀が山にごはんを持って行くのは禁物だからこれをお弁当代わりにと持たせてくれたのが、この薩摩名物の「お菓子・カステイラ」だったのでした。
山にごはんを持っていけない・・・?
そんな禁忌があったんですか?(すごく気になります。)
でも、そのおかげでそのときもらった「カステイラ(カステラ)」は、2人の忘れられない甘い想い出の味になったのでした。というのも、お龍さんは、晩年にそのことを語っていたと記録が残っているのです。
険しい山登りをしているときの甘いお菓子は、エネルギーチャージになって、とっても美味しかったでしょうね。
海援隊の「雑記録」にカステラのレシピが残っていた!
海援隊の雑記録に、「雄魂姓名録」というものがあります。それに、なんと「カステイラ仕様」という、当時作っていたカステラの材料が書かれているのでした。
坂本龍馬は、薩摩藩でもらって食べただけではなく、みんなで作って食べていたのかもしれないんです。
ちなみに、そのカステイラの材料はたった3つ。
玉子とうどん(粉)と砂糖だけのシンプルな焼き菓子でした。
今、作るなら、玉子:小麦粉:砂糖が1:0.7:1の割合です。
カステラというより、ほとんどパウンドケーキと同じ分量ですね。(パウンドケーキは、1:1:1)
現代のカステラと比べると、かなりあっさりした焼き菓子だったでしょう。それでも、当時は、砂糖が貴重だったので、贅沢なお菓子だったでしょう。
食べてみてとても美味しかったから、このようにレシピとして残っているのでしょう。
勝海舟といい坂本龍馬といい、この時代に活躍した人は、お菓子が好きなんだなと思うと、おもしろいのでした。
⇒勝海舟は洋菓子にも目がなかったという記事はこちらです♪
【参考:『幕末維新メシ』(NHKテキスト趣味どきっ!)】
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