この記事を読むのに必要な時間は約 7 分です。


 
平清盛は、公家から武家へと政治の主導権が移り変わろうとしていた時代に、朝廷内で大きな権力を持った武士でした。
 
 今回は、平清盛の生涯と平家がどのようにして繁栄していったのかお伝えします。

 
 

スポンサーリンク

平清盛はどういう人?

 
【出典元:https://ja.wikipedia.org/wiki/】
 
平清盛は、1118年に平忠盛の長男として京都に生まれました。桓武天皇の血を引く武家の出身です。
 
 
平氏は源氏と並ぶ有力な武家で、朝廷からも頼りにされていました。平清盛は、鳥羽天皇の親衛隊「北面の武士」に任命されます。
 
 
そうして、父・忠盛が亡くなると、平氏の棟梁となって一族を率いることになりました。
 
 
1156年、天皇家の継承争いに摂関家の争いがからみあって「保元の乱」が起こりました。これは朝廷内の争いでしたが、それぞれが武家の力を借りて勝利しようと企んだのです。
 
 
そうして、平清盛は、源義朝(源頼朝の父)と力を合わせて、後白河天皇を勝利に導いたのでした。
 
 
この「保元の乱」は、地味に見えて歴史的にかなり重要な争いなんですよ!
 
 
公家が内部抗争の解決に武士の力を借りたため、これ以降、武家の存在感が増して、その後の約700年に渡る武家政権につながる1つのきっかけになったのでした。
 
 
そして、平氏と源氏は、徐々に政治に介入するようになっていきました。

 

 

武士で初めての「太政大臣」に就任

 

 
1160年に再び起こった政変「平治の乱」で、平氏は源義朝を倒しました。これで、平清盛は、もっとも武家のリーダーとなり、政治の表舞台に立ったのです。
 
 
そうして、1169年、平清盛は武士ではじめて太政大臣に就任したのでした。
 
 
そして、娘の徳子高倉天皇に嫁がせ、皇子が生まれました。その子が後の安徳天皇になるのです。
 
 
平清盛は、高倉天皇に圧力をかけて譲位させ、わずか1歳で孫を即位させました。もちろん、外祖父として、安徳天皇の変わりに自分が政治の実権を掌握するためです。
 
 
清盛は、また貿易にも力を注ぎ、日宋貿易を成功させ、莫大な富を得ました。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いです。日宋貿易については後述します。
 
 
この時期の平氏は、かつての藤原氏のように調子にのってますね。
 
 
「平家にあらずんば人にあらず」なんていう空気読めない発言をするバカが、一門から出たほどでした。ちなみにそのバカは、平時忠といいます。
 
 
そんな平氏が独占した政治に公家からも武家からも不満が募っていきました。そうして、とうとう後白河法皇まで反平氏に傾いていきます。
 
 
すると、平清盛は、後白河法皇をとらえて鳥羽殿(都の南にある宮殿)に閉じ込めてしまったのでした。
 
 
そんなことをしてしまったので、どんどん反感を買う事になりました。そして、半年後には、朝廷から討伐令を受けた源頼朝が、平氏を倒すために挙兵したのです。
 
 
源氏の棟梁が立ち上がったということで、各地で平氏打倒の戦いが起こりました。
 
 
そうして、約5年にも渡る「源平合戦」が始まったのでした。
 
 
でも、肝心のリーダー・平清盛は、戦いが始まってしばらくした1181年に、熱病により病死してしまったのです。享年64歳でした。

 
 

スポンサーリンク

平清盛の死の影響


平清盛が突然病死したのは、ちょうど源氏を中心にした平氏打倒の軍が立ち上がりつつあった頃でした。
 
 
その矢先に平清盛というカリスマリーダーを欠いたため、源氏は勢いづき、平氏は統率力にかけてしまったのです。
 
 
武士らしい暮らしを続けていた源氏の大将たちは、武芸や指揮に秀でた武将がたくさんいました。
 
 
一方、貴族化した平氏には、強い次期リーダーになる者が不在だったのです。
 
 
そうして、4年後の1185年、「壇ノ浦の戦い」で、平氏は滅亡したのでした。

 
 

平清盛の日宋貿易

 

 
平清盛の偉業の1つで外せないのは、瀬戸内航路の整備です。
 
 
清盛は父の代から宋(中国)と貿易をして利益をあげていました。朝廷で権力を握った清盛は、日宋貿易をもっと拡大していったのです。
 
 
まず、兵庫県に大きな港・大輪田泊(おおわだのとまり)を築き、瀬戸内航路を完成させました。清盛は、貿易によって利益を生み出し、より豊かな国作りをしようと考えていたのです。
 
 
さらに、彼は航海の安全と平氏の繁栄を願って、厳島神社(船の守り神)を建てました。
 
 
日宋貿易での日本の輸出品は、金・銀・硫黄など、宋からの輸入品は、大量の宋銭・織物・香料・薬などでした。
 
 
平清盛は、こうして海上インフラを整え、現代の海上輸送の礎(いしずえ)を作った人なのでした。

 
 
【関連記事】
   ↓


 

 

 

スポンサーリンク