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いつの時代も、名家と呼ばれる家に生まれるのが、幸福な事とは限りません。
 
 
近代ヨーロッパでは、王家や大貴族に生まれたら、女性は政略結婚のコマにされるのが当然でした。
 
 
ナポレオン1世の2度目の妻に決められたマリー・ルイーズも、そんな女性だったのです。
 
 
でも、彼女は自分の運命を自分で決められない境遇ながら、脅威の順応力で幸せを勝ち取った女性でした。
 
 
なかなかしたたかで、ある意味賢い女の生き方をしてますよ。
 
 
私は嫌いじゃないです、こういう人。
 
 
ジョセフィーヌよりは、ずっと好きです。
その最初の妻・ジョセフィーヌはこちらです。
   ↓
⇒★最初の妻ジョセフィーヌは浮気三昧だった?
 

 

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◆ナポレオンが大嫌いだった皇女マリー・ルイーズ

 

【出典元:Wikipediaナポレオンとの結婚式】

 
ナポレオン1世と最初の妻ジョセフィーヌには、子供ができませんでした。
 
 
そんな折、ナポレオンはポーランド滞在中にマリア・ヴァレフスカという貴族の女性と恋仲になり、彼女に子供ができたのです。
 
 
愛人の子を嫡男にするのはまずいです。そうなると、一応皇帝を名乗るナポレオン、威厳を保つためにも、名家の姫君との婚姻を熱望するようになっていったのでした。
 
 
そうして、子供のできない妻ジョセフィーヌとは、別れることに決めました。
 
 
それから、名家のお姫さまを探し、白羽の矢が立ったのが、オーストリア皇女マリア・ルドヴィカ(マリー・ルイーズ)だったのです。
 
 
マリー・ルイーズは、神聖ローマ帝国・皇帝フランツ2世の長女です。フランスは、2年前の革命で、大叔母のオーストリア皇女・マリーアントワネットを処刑した国ですよ。
 
 
彼女は、ナポレオン憎しという風潮の中で育ちました。だから、もちろん、ナポレオンのことは毛嫌いしていたのです。
 
 
そんな人と結婚しなくてはならなくなったと聞いたとき、彼女は泣き崩れたそうですよ。
 
 
でも、周囲の圧力には抗えず、1810年4月1日、ナポレオン1世とマリー・ルイーズは、ルーヴル宮殿の礼拝堂で結婚式を挙げました。
 
 
実際に付き合ってみるとナポレオンはとてもやさしく、マリー・ルイーズが当初考えていたほどひどい結婚生活ではなかったようです。
 
 
おそらくナポレオンが皇女様のご機嫌を損なわないように、あれこれ気をつかっていたのでしょう。
 
 
マリー・ルイーズは、ジョセフィーヌと全く違う大人しい性格で、2~3人の取り巻き以外とは、あまり付き合おうとしませんでした。
 
 
ナポレオンの一族とも、ほとんど付き合わなかったのです。
 
 
彼女はおしゃれにも関心がなく、そんなにたくさんの洋服を欲しがりませんでした。また、宝石類などにもまったく興味がなかったといわれます。
 
 
ジョセフィーヌと違ってプレゼント攻撃が効かないタイプなので、ナポレオンはやりにくかったかしれませんね。

 
 

1.嫡子・ナポレオン2世(後のライヒシュタット講釈)を出産

 

【出典元:Wikipediaマリールイーズと息子】

 
1811年、マリー・ルイーズは、ナポレオンの嫡子を出産しています。ナポレオン2世(ローマ王)です。
 
 
ナポレオンは、息子の誕生を大いに喜びましたが、マリー・ルイーズは、ほとんどわが子に関心を示さなかったようですよ。
 
 
本当に母性愛が欠けているのか、愛情を感じなかったらしく、子供は養育係の女官がずっと世話をしていました。

 
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2.ナポレオン失脚後はオーストリア(実家)に戻った

 

 
息子が生まれた翌年にナポレオンは「ロシア遠征」を決行し、ボコボコにやっつけられました。
 
 
それからは、転落の人生です。
 
 
マリー・ルイーズは、情が移っていたこともありナポレオンのためにあちらこちらに手紙を書いて尽くしていたようですが、実家に連れ戻されました。( ̄▽ ̄)
 
 
で、オーストリアに帰ったら、ああ、やっぱり生まれ育った宮殿(実家)はいいわ~と思い、また父も出戻り娘にあれこれ贅沢させので、ナポレオンのことはすっかり過去の人と忘れ去ってしまったのでした。
 
 
なんといっても、父はヨーロッパ同盟軍の中心にいる人物で、夫は島流し決定の身です。
 
 
あなたなら、どちらを選びますか?
 
 
ものすごい恋愛結婚だったら考えたかもしれませんが、もともと幼少時から嫌っていて無理やり政略結婚させられた相手です。答えは、予想できますね。

 
 

3.パルマ女侯爵となり新しい恋人とラブラブに

 

【出典元:Wikipedia】

 
ということで、彼女は夫が大変なときに、隻眼の洗練されたナイスミドル・ナイペルク伯と恋におちました。(マリールイーズを落とせとメッテルニヒから彼に指令が出ていたといううわさもあります)
 
【出典元:Wikipediaナイペルク伯】

 
そうして、マリー・ルイーズは、夫も息子もすっかりどうでもよくなって、ついでに、ウイーン会議でパルマ女公爵となることが決まり、ナイペルク伯とラブラブな毎日を過ごしたのでした。(子供も4人産んでます)
 
 
ナポレオンや息子から見ればひどい妻、母親なのでしょうけれど、ナイペルク伯こそ、彼女が本当に自分で愛した人だったのでしょう。
 
 
そうして、彼女は、会いたいと何度も手紙を書いて寄こした息子にも、まったく会おうとしませんでした。息子は21歳で肺結核で亡くなるのですが、その直前にようやく会いに行っています。
 
 
ナイペルク伯が亡くなった後は、ルネ・ド・ボンベルという人と再婚しました。ルネは、穏やかな優しい人物で、彼女は最後まで幸福な結婚生活を送れたそうです。
 
 
彼女は運命に流されながらも、自分の人生をうまく舵取りしていった賢い女性だったと思います。

 
 
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