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こんにちは。
フランスのパリは、現代ではオシャレで洗練された街なイメージがありますね。でも、実は19世紀まものすごく不潔な町だったのです。
そもそも香水文化が花開いたのも、体臭を紛らわせるためだったという不潔この上ない事情からでした。
パリは歴史をさかのぼると、ゲルマン民族の大移動(4世紀)あたりから、中世・近世と、ずーっと不潔な町だったのです。
「古代ローマの温泉文化はどこいった?」という感じです。
でも、マリーアントワネットの故郷・オーストリアは、まだまだましだったようですよ。
「入浴の習慣」がありましたから!
そう、当時のフランスは湯舟につかる、シャワーを浴びるという習慣すらなかったのです!
目次
入浴すると疫病にかかる?パリのお風呂事情
当時のフランスでは、なぜか「お風呂(水)に入ると疫病にかかる」と信じられていたので、入浴の習慣がありませんでした。
「じゃあ、どうしてたの?」というと、体をふいていただけなのです。
そんなんじゃ、きれいにならないよと思いますが、本当にそうなんですよ。
私たち日本人は、きれいな「水」があるのが当たり前と思いがちですが、ヨーロッパ内陸部は、常に水不足の環境にありました。
飲料水にできるきれいな水はものすごく貴重で、体や衣服を洗える程度の水も貴重なもの、充分手には入らなかったのです。
「入浴するとペストにかかる」という迷信も、たいていの水が汚かったから信じられたのでしょう。
パリの市民は「たらい」に水を入れて、月に1~2回、体をふく程度だったそうです。
貴族の場合は、もうちょっとましだったとは思いますが、汚い上にでっかいかつらをかぶったり、ゴテゴテ装飾品を付けたりしていたので大変です。
あの一見美しく見えるベルサイユ宮殿は、実はダニやネズミの温床でした。当然、皮膚病にかかる人も多かったでしょう。
フランスに嫁いだマリーアントワネットは、この不潔さにびっくりし、「私は絶対お風呂に入るわ!」と断言しました。
お隣のオーストリアには、入浴文化があったのです。
そうして、彼女とお付きの人たちとの妥協点が、薄い肌着を身に着けたまま入浴するという方法でした。
「肌着を着ただけで伝染病に移らなくなるのか」と思いますが、もともと迷信なのです。きっと本人たちも分かっていたのでしょう。
そうして、マリーアントワネットは、一人バスタブを導入して入浴していたのでした。
中世のパリはトイレもなかった
パリは、古代ローマ帝国期から都市として機能していた古い町です。なのに、16世紀まで家庭にトイレがありませんでした。
では、排出物はどう処理していたのかというと、「おまる」のようなものにして、窓から外へ中身をポイッと投げ捨てていたのです。
都市部では、道を歩くときに気を付けなければ、窓から何が降って来るかわからなかったんですよ。
本当は「排泄物は決められた場所に捨てるべし」というルールがあったのですが、守る人はほとんどいませんでした。
「おまる」の中身は窓から道にポイ捨て、動物の内臓など生ゴミもポイ捨て、移動手段が馬だから馬の糞尿も垂れ流し、パリはそんな汚物の腐った臭いが混ざり合った異様な悪臭漂う町だったのです。
その異臭は王宮にまで漂い、ひとたびペストが発生すると、あっという間にパリ中に広がったのでした。
ルイ14世がパリからベルサイユに移動したのは、ルーブル宮が汚物まみれになったので逃げたかったというのも理由の1つといわれます。
ベルサイユ宮殿も庭はアレだらけだった?
16世紀に入ると、パリでも家庭にトイレを設置することを義務づける法令ができました。でも、守らない人はたくさんいたようです。
王侯貴族の場合、木製の調度品のような立派な「いす式トイレ」が登場しました。
でも、下水道が整っていなかったので、機能的にはトイレの形をした「おまる」(ためるだけのもの)でした。
ベルサイユに招かれた貴族たちは、つぼのような高価そうなセーブル焼き(陶器製)の「おまる」を持参していたそうですよ。
でも、「おまる」のあるところまで距離があって我慢できないこともあり、実際にはその辺にしてしまうことが多かったのです。
その辺というのは、廊下や階段のすみっこや、庭などです。
でも「おまる」の中身もたまったら従者が庭にポイ捨てしていたので、結局、庭にするのと同じことでした。
肥料にはなるかもしれませんが、悪臭がすごそうですね。外に出たくなくなります。
フランス人は、排泄物に関して大らかだったのか・・・
いつごろから、きれいになったのかといわれると、日本人的な感覚では、未だに不潔なのではないかと思います。
異臭対策で発明されたもの
どれだけ不潔な環境に慣れているとはいえ、人の嗅覚は今と同じです。
マリーアントワネットはパリにいると異臭で頭痛がすると言ってたというほどですから、それなりに当時も対策が考えられてはいました。
そうして、発明されたのが、香水、日傘、フープスカートなど、フランスの文化として今も伝わるものなのです。
◆香水
貴族たちが宮殿内のひどい悪臭をごまかすために発明されたのが「香水」の起源です。
臭いを「上書き」しようと考えるあたりが、もうなんともいえません。いや、絶対混ざり合うだろと思いますが、当時の貴族たちは嗅覚がおかしくなるほど香水をふりかける人もいたのだとか。
その代表例が、ルイ14世です。
パリの人々は入浴やシャワーをまったくせず、体を拭くだけだったので、体臭がひどかったのでしょう。
また、水が貴重なので服も月に1回洗濯できればよいほう、カビが生えていることも普通にありました。
「香水」の発達した理由がこれというのが、おもしろいような切ないような複雑な気分です。
◆日傘
フランスと日傘といえば、私はモネの「日傘を指す女性」が思い浮かぶのですが、あの日傘の起源も、不潔な町の事情からできたものでした。
日傘は紫外線対策として日差しをさえぎるためのものではなく、もとは道を歩いているときに上から突如舞い降りてくる排泄物を避けるためのものだったそうです。
起源は中世ということなので、かなり昔からあったのですね。
確かに、ずっと上を気にしながら歩くわけにもいかないし、誰かの排泄物を頭からかぶってしまったら、なんだかもう生きるのがわびしくなりそうです。(←現代人の感覚ですけど)
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◆フープドレス
女の子なら一度は描いたことがあるお姫様のふんわりドレス(フープドレス)も、当時のトイレ事情から生まれたものでした。
あのまあるいふくらみは、フラフープのような輪っかを、いくつか布の中に水平に縫い込んで作ったものなのです。
中にいろんなものを隠せそうですね。
・・・ということで、ベルサイユやパリの貴婦人たちは、トイレに行きたくなったら、廊下や庭のすみっこでそのまま排泄していたそうですよ。
「下着は履いてなかったの?」とか気になる点もあるのですが、フランス人が排泄に関して大らかだったのは確かなようです。
幽閉されてたルイ17世(マリーアントワネットの息子)が、想像を絶する不潔な環境下に置かれて虐待死したというのも、こういう事情を知るとありだったんだなと思えます。↓