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マリー・テレーズは幼少期から自分がフランス・ブルボン家とハプスブルク家の子孫であることに誇りを持つ、プライドが高く、気が強い少女だったそうです。
出自からして仕方のない事ですが、かなり傲慢な娘だったのでしょう。でも、母マリーアントワネットの教育は、かなり厳しかったそうですよ。
彼女は、ルイ16世一家でただ一人、天寿を全うした女性です。
そんなマリーテレーズの激動の生涯を、簡単に紹介します。
目次
◆10歳のときにフランス革命が起った
マリーテレーズが10歳のとき、バスティーユ牢獄が民衆に襲われ、フランス革命が勃発しました。
彼女は、父の国王ルイ16世が処刑された後も、タンブル塔で母と叔母と一緒に過ごしました。しばらくすると、弟のルイ17世(ルイ・シャルル)は、一人別の階に引き離されます。
1793年10月に母マリーアントワネットが、その後に叔母のエリザベートが処刑されると、彼女もタンブル塔で独りぼっちになりました。
弟は3階、彼女は4階と別の階に移されされました。彼女の部屋には、弟の泣き叫ぶ声がよく聞こえていたそうです。
国王夫妻が存命だったとき、タンブル塔の暮らしは、実はかなり豊かなものだったのです。マリーアントワネットは、高価な衣服をここから注文していますし、食事も宮殿にいたとき同様に準備されていたのです。
彼女たちの生活が苛酷になったのは、両親と叔母が処刑されてからです。
特に弟のルイ17世(ルイ・シャルル)への対応はひどく、彼女は、下の階の弟を心配して、医師に診断させてほしいと何度も国民公会に嘆願書を出しました。
彼女は弟ほど政治的に重要人物ではなかったので、ひどい扱いは受けませんでしたが、看守に暴行されて妊娠しました。
◆捕虜交換でオーストリアへ亡命
ルイ17世がタンブル塔で亡くなった後の1796年、マリーテレーズは、フランス捕虜と交換するという条件で、母の祖国・オーストリアに逃れることができました。
ここでようやく救いの手が差し伸べられたのです。
でも、その頃、フランスでは、ナポレオン・ボナパルトが頭角を現し始めていました。
オーストリアに亡命した後も、彼女はロシア領クールランド、ワルシャワ、イギリスと、流転の逃亡生活を続けるしかありませんでした。
マリーテレーズは、その間に従兄のルイ・アントワーヌと結婚しました。ルイ・アントワーヌは、マリーテレーズの父・ルイ16世の2番目の弟・アルトワ伯の息子でした。
夫となったルイ・アントワーヌは、マリーテレーズには優しく、子供は生まれませんでしたが、夫婦仲はよかったといわれます。
この点では、マリーテレーズは、少しはよかったのではないかと思います。ただ、彼女は母と異なり、おそらく若い頃の過酷な体験からでしょうけど、政治に関心があったので、思うようにいかず不満の多い人生だったでしょう。
◆46歳のときようやくフランスに帰還
1814年、彼女が46歳のとき、ナポレオン軍がロシア遠征に失敗して失脚し、彼女はフランスに戻りました。
フランスでは王政復古し、ルイ16世の弟・プロバンス伯がルイ18世として即位したのです。
1824年にはルイ18世が病死し、彼女のもう一人の叔父で舅でもあるアルトワ伯がシャルル10世として即位しました。
そうして、彼女はフランス王太子妃になりました。
マリーテレーズは、いつも地味な服を着て、気難しく国民の人気はありませんでした。若い頃の体験を忘れることはできなかったでしょう。
彼女はナポレオンを恨み、ナポレオンの時代に成り上がった貴族たちを憎みました。その反対に、自分が不遇の時代に優しかった貴族たちには、心底愛情を持って接したそうです。
◆7月革命で再びオーストリアに亡命★穏やかな余生を過ごす
1830年、フランスは2度目の革命時代を迎えました。シャルル10世が、再び市民革命で失脚し、オーストリアに亡命したのです。
マリーテレーズもまた、夫・舅と共に亡命し、そのままオーストリアで余生を過ごしました。
その余生は、穏やかなものだったようですよ。
彼女らブルボン家一家は、プラハにフラドシン城を用意してもらって、舅(叔父)のシャルル10世らと共にヴェルサイユの伝統的儀礼を復活させて生活しました。
彼女はここで、刺繍をして過ごし、その刺繍はオークションに出されて、収益は恵まれない者に寄付されたそうです。
その後も、何度かオーストリアの他の城に引っ越していますが、同様に穏やかな日々を過ごし、舅と夫を看取りました。
刺繍は、母のマリーアントワネットも大好きで得意でした。彼女の思い出の中に、母の面影があったのかもしれません。
マリー・テレーズは、こうして1851年10月、肺炎で亡くなります。73歳でした。
運命に翻弄された女性でしたが、最後にこういう静かな時間を持てて、彼女もよかったんじゃないかなと思います。
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