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崇徳(すとく)天皇は生まれたときから天皇家の権力争いに巻き込まれ、最期まで翻弄され続けた悲運な天皇でした。
 
 
政争に敗れて讃岐国に流され、そのままその地で亡くなったのですが、その後、怨霊としてよみがえり、都の人々に恐れられる存在になっていきます。
 
 
それも史上最恐の怨霊として。
 
 
今回は崇徳天皇の「怨霊伝説」についてお伝えします。
 
 
彼の生涯についてはこちらを。


 
 

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崇徳上皇の寂しい最期

 

 
1156年の「保元の乱」後白河天皇に敗れた崇徳上皇は、讃岐国へ配流されました。
 
 
天皇や上皇の配流は、奈良時代の淳仁天皇以来約400年ぶりという厳しい刑でした。
 
 
ここから先の崇徳上皇の話は、主に『保元物語』の内容です。『保元物語』は作者不明の軍記物語なので、史実と異なる部分も多いというのが大前提ですよ。
 
 
崇徳上皇は暗殺されたという説もありますが、実際は讃岐国で好きな和歌に興じたり、写経や読経に励んだりしながらおだやかな余生を送ったのではないかと思われます。
 
 
しかし、『保元物語』の崇徳上皇像はかなり違っています。
 
 
それによると、崇徳上皇は讃岐国で日本の繁栄と後世の安寧を願い、華厳経、大集経、大品般若経(摩訶般若波羅蜜経)、法華経、涅槃経の「五部大乗経」を心を込めて写経しました。それから彼は写経に自作の和歌を添えて、都の寺院に奉納してほしいと朝廷に送ったのです。
 
 
しかし、彼と長い間対立していた後白河上皇はこれは自分への呪いが込められたものに違いないと考え受け取ることを拒否し讃岐に送り返します。
 
 
写経を突き返された崇徳は激怒しました。
 
 
そして、後白河上皇は未来永劫までも敵だと嘆き、舌先をかみ切ってその血で「日本国の大魔縁とならん 皇を取て民とし 民を皇となさん」と誓状をしたためたのです。
  
 
それから彼は死ぬまで髪や爪を伸ばし続け、鬼のような形相になりました。亡くなったあと棺を閉めようとすると、棺から血がどくどくとあふれ出てきたそうです。
 
 
崇徳上皇は亡くなった後も「罪人」扱いされたままでした。葬儀も国司によるものはありましたが、朝廷からは徹底的に無視されました。
 
 
最期の最期まで朝廷からひどい仕打ちを受け続ける崇徳上皇。怨霊と化して天皇家を呪っても不思議ではありません。
 
 
崇徳上皇は亡くなったあと、生前以上に朝廷の脅威となっていきました。

 
 

京の都に降りかかる上皇の呪い

 

 
「日本国の大魔縁とならん」
 
 
時がたち、「保元の乱」で配流された藤原教長らは帰京を許され、藤原頼長の息子の師長は後白河上皇の側近になりました。崇徳上皇のことは、都ではすっかり過去の人として忘れ去られたかのようでした。
 
 
ところが、1176年、後白河上皇と藤原忠通の身内が相次いで亡くなりました。
 
 
そしてその翌年も、延暦寺の強訴、安元の大火、鹿ケ谷の陰謀と都に災厄が立て続けに起こったのです。これらは長く続く動乱の始まりでした。
 
 
これら一連の出来事は崇徳上皇と藤原頼長の怨霊が引き起こす祟りと考えられ、この年以降、都の貴族たちの日記に「崇徳上皇と藤原頼長の怨霊」がたびたび登場することになりました。
 
 
藤原教長の日記に崇徳上皇と藤原頼長の怨霊を鎮めるために、神霊として祀るべきとあることから、怨霊の噂は崇徳上皇派の人たちが広めたと思われています。
 
 
精神的に追い詰められた後白河上皇は、彼らの怨霊鎮魂のため「保元の宣命」を破却し、「讃岐院」とされていた院号を「崇徳院」に改め、藤原頼長には正一位太政大臣を追贈しました(『百錬抄』)。
 
 
のちに「保元の乱」の戦いの跡には「崇徳院廟」が建てられ、罪人の扱いは取り消されることになります。
 
 
しかし、その後も後白河天皇が亡くなるまで災いは降り続きました。崇徳天皇の怨霊はその後も歴代天皇に恐怖を与え続け、なんと明治時代以降、現代の天皇もその鎮魂の行事を行っているのです。

 
 

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真の呪いは成就された!?

 

 
崇徳上皇の呪いは、天皇家に向けられたものでした。
 
 
「皇を取て民とし 民を皇となさん」
 
 
それはつまり、日本の政(まつりごと)を天皇(朝廷)から奪い民に引きわたすということです。
 
 
後白河上皇の「院政」の後、源平の争乱を経て日本の政治機関は「朝廷」から「鎌倉幕府」に移りました。政(まつりごと)が地方の民(農民)出身の武士にゆだねられるようになったのです。
 
 
その後も、室町、江戸と武家政権が続きます。そして、現代も天皇は日本国の「象徴」にすぎず、政治に口出しできない存在のままなのでした。
 
 
彼の呪いは、今も効力を持ち続けているのかもしれませんね。

 
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