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こんにちは。
 
 
少し涼しくなってきましたね。私は週末に「京都定期観光バス」の日帰りツアーに参加してきました!
 
 
新選組オタクの友に行こうと誘われたコースです♪
     ↓
「~明治維新150年記念~幕末維新の志士たちゆかりの地をたずねて」
 
 
こちらは9月末までの夏限定コース(京の夏の旅)だとか・・・
でも、似たような設定のが秋コースにもありますよ。
 
 
ま、私としては、もっと古い時代のほうが萌えるんですけど(幕末なんて最近やん)、かなりおもしろかったのでレポアップします!
 
 
このコースはもうすぐ終わりますが、「京都定期観光バス」のツアーはおすすめですよ!
 
 
バスに乗ったまま京都市内を走る簡単なコースから、がっつり1日コースまで、料金も2千円~1万円前後までいろいろあります。

 
 

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ここがおすすめ「京都観光バス」

 

 
・予約は出発1時間前まで
・無料キャンセルも出発1時間前まで

 
 
この京都定期観光バスは、「京阪バス」などが提供しています。今回、私たちが乗ったバスは、京阪バスの「芸妓バス」でした~♪

 
 
お客さんは35人ぐらい、結構多かったです。
 

 

 
始めに小冊子とシールワッペンをもらいます。
 
 
このコースは、幕末好きでなければ楽しめないマイナーな場所ばかり回ります!
 
 
なので、お客さんはすべて日本人で年齢層は高めでしたが、若いご夫婦もいらっしゃいました。
 
 
近場の人がほとんどだったかなぁ。(←関西弁なのでわかる)
 
 
遠方からの観光客は、金閣寺や清水寺を回るメジャーなコースを選びそうですね。

 
 

伏見「御香宮神社」

 

 
始めに行ったのは、京都の南・伏見にある「御香宮神宮」です。
 
 
この神社は、戊辰戦争の際、「鳥羽伏見の戦い」で官軍の屯所となった神社
でした。
 
 
西郷隆盛らがここで官軍の指揮をしていたのです。
 
 
拝殿の写真が撮れず残念です。撮ったんですけど、この日は「お宮参り」で来られている方がたくさんいて、どうしても人がいっぱい写ってしまうのでした。

 
 

    ↑
Wikipediaからお借りした画像です。「御香宮神社」の拝殿です。
 
 
「ご当地自販機」発見!
 

 
お参りを済ませると、次はランチ会場へ・・・
 
 

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伏見の料亭「清和荘」でランチ

 

 
次に、昭和30年創業の伏見の料亭「清和荘」へ移動しました。
 
 
伏見の名水「清和の井」を用いた「京料理」のお弁当をいただきました。
 

 

 
水菓子(デザート)はグレープフルーツのゼリー。
お料理は、全体的に京都らしい優しいお味でした。酢の物が多めだったのは、夏だからでしょう。そして、やっぱりハモがでます。
 
 
料亭の京料理はハモを出さないと苦情が来るの?と思えるほどハモ料理が出ますね。
 
 
ここでのお食事時間は約1時間でした。短すぎず長すぎずの時間でちょうどよかったです。
 
 
お庭も見事でしたが、建物の中がいい感じに古くてときめきました。池に錦鯉が・・・

 

 

花街・島原の「角屋」と「輪違屋」

 

 
ランチの後は島原に残る「角屋」「輪違屋」を訪ねました。
 
 
私たちが、いちばん楽しみにしていた所です!!!
 
 
この花街はもともと違う場所にあったのが、江戸時代初期に今の場所に1つの町ごと引っ越したのです。
 
 
そのときの大移動で大変な騒動になり、京の人が口々に「まるで島原の乱みたいやなぁ。」と言ったのが「島原」という通称の由来です。
 
 
長崎の「島原の乱」の3年後の出来事だったそうですよ。
 
 
花街には「料亭」「置屋」があります。「料亭」は太夫や芸妓がお客さんに芸を提供し宴会を行うところで、「置屋」は芸妓さんたちがいる派遣会社のようなところ(お客は来ない)です。
 
 
「角屋」は「料亭」で「輪違屋」は「置屋」です。

 
 

「角屋」芹沢鴨を暗殺した夜の宴会場見学!

 

 

 
伏見にある「角屋(すみや)」は、新選組、長州藩、薩摩藩などいろんな立場の人々が幕末に出入りしていた料亭でした。
 
 
長州藩の宴会のときのメニューが残っていたり、新選組は「掛け」(ツケ)の支払い禁止という書付があったりしておもしろいです。
 
 
新選組が「掛け禁止」になったのは、踏み倒しではなく未払いのまま斬り合いで亡くなる隊士が多かったからだそうですよ。
 
 
シビアだわ・・・
 
 
「角屋」さんが土方さんたち幹部と話をつけて「掛け禁止」になったのですが、それを知らなかった隊士が暴れてつけた刀傷が残っています。

     ↓

 

 
幕末へタイムスリップしたような不思議な感じになりました。西郷隆盛が使った大きな樽(たらい)も展示されていましたよ。
 
 
そして、なんと言ってもここは新選組が芹沢鴨を暗殺する前、酔わせて足腰立たなくさせるために宴会を開いた料亭なのです。
 
 
この「角屋」から壬生の屯所に帰った後、芹沢鴨は土方歳三、沖田総司らに寝込みを襲われ暗殺されたのでした。
 
 
その当時の詳しい様子をその部屋で説明してくださったので、おもしろかったです。
 
 
このお部屋です。

 

 
玄関から料亭内を見たところ・・・
 

 
お部屋から見えるお庭も見事です!
 

 

「輪違屋」桂小五郎・近藤勇の書のある置屋

 

 
次に芸妓派遣所だった「置屋」の「輪違屋(わちがいや)」へ。
 
 
「角屋」から徒歩5分もかかりません。料亭からお呼びがあると、芸妓さんたちがここから駆けつけたんですね。
 
 
「輪違屋」には、桂小五郎(木戸孝允)と近藤勇の書が残っています。桂小五郎の書は撮影禁止でしたが、近藤さんの書はOKでした。

  

 
障子に書かれた仮名文字は、恋文の代筆なのだそうです。「太夫(たゆう)」のお手です。↓
    

 
 
「太夫」は島原で最高位の女性で、江戸時代は吉原の花魁(おいらん)より格上だったそうです。
 
 
太夫はあらゆる芸事に通じていなければならず、芸妓の中からなれるのは100人に2~3人、現在は5人いらっしゃるそうです。今は京都の親善大使としても働いてはりますよ。

 
 

「幕末維新ミュージアム 霊山歴史館」

 

 
最後は「霊山歴史館(りょうぜんれきしかん)」へ。
 
 
この歴史館は高台寺の上、二年坂から山のほうに10分ほど登ったところにあります。
 
 
清水道からすぐそこってところです。でも、かなり急な坂で上るのがめんどうになり、清水寺に行ってもなかなかここまで足を運べないのでした。
 
 
この歴史館のおもしろいところは坂本龍馬・中岡慎太郎・西郷隆盛などの「倒幕派」と、新選組・徳川慶喜など「幕府側」の人々の資料が一緒に展示されているところです。
 
 
つまり、両方の視点から見学できるのです!
 
 
でも、初代館長があの松下幸之助さんということで、ちょっと龍馬(←日本初の商社を作った人)びいきかな~という感じも受けました。
 
 
あ、ツアーでは西郷隆盛についての説明が10分ほどありましたが、私たちはあまり聞かずにうろちょろしてました。
 
 
一緒に行った友人が完全に「新選組側」なので~、近藤勇と土方歳三の「刀」に萌えておりました。
 
 
ちなみに「虎徹」と「兼定」ではありません。
 
 
土方さんの刀剣は展示されていたのは「大和守源秀國(やまとのかみみなもとのひでくに」です。鞘が漆黒にキラキラでラメ入りみたいに輝いてました。オシャレでしたよ。(館内撮影は禁止)↓

 

【出典元:霊山歴史館】

 
 
でも、最近の刀だなーという感じで、私はいまいちでしたね。
 
 
「刀」で「おおおっ!」と思ったのは、坂本龍馬暗殺に使われた脇差でした!
 
 
近江屋は狭いので、室内での機動を考えると、得物は脇差・短刀がベストです!

 
【出典元:霊山歴史館】

 
坂本龍馬を暗殺したのは、「京都見廻組」の桂早之助といわれます。彼は小太刀の名手で、「鳥羽伏見の戦い」で撃たれて戦死しました。(享年28歳)
 
 
ちょうど今回の「西郷どん」が龍馬暗殺だったので、ほおおっという感じです。
 
 
この歴史館、見るところは少ないのですが、年表や人物説明がすごく詳しくて、あと1時間ぐらい見ていたかったです。でも、時間が来たのでバスに戻りました。
 
 
「霊山歴史館」を最後に回ったのは、ツアーの素敵な配慮だと思います。
 
 
ここは清水寺、円山公園、祇園など京都の中心に近い場所なので、この場所でバスを降りて別行動をとってもOKだったからです。
 
 
私たちは市バス嫌いだし河原町駅まで下りるのも疲れるので、そのまま観光バスで京都駅まで戻りました。
 
 
あの歴史館の年表、「冊子」にしてくれないかなぁ。
 
 
伏見、島原、清水を6時間30分で自分で移動して見回るのは私には難しいので、参加してよかったです。ゆっくり料亭ランチも楽しめましたし、混雑と無縁だったし・・・
 
 
今度は、秋の特別公開文化財コースに参加しようかと考え中なのでした。
 
 
京都定期観光バスHP

 
 
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