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幕末は、日本の激動期で、多くのヒーローが誕生しますね。
いろんな事が同時進行的にハイスペースで進み、すごく分かりにくい時代でもあります。でも、歴史はそんなに好きではないけど、新選組は好きという人も、たくさんいます。(*’▽’)
司馬遼太郎さんの小説では、土方歳三と沖田総司が特にかっこいいですが、最近、ゲームやアニメでたくさん取り上げられて、多くの隊士にスポットライトが当たるようになりました。
でも、やはり数々の逸話からかんがみると、いろんなギャップのあるこの人は、何といっても魅力的です!
必殺技「三段突き」を繰り出す剣豪かと思いきや、朗らかで無邪気な一面があったりと、謎も多いです。
ということで、今回は、一番組組長沖田総司についての逸話を、お伝えします。
新撰組最強の天才剣士だった?
新撰組一番組組長にして、天才剣士の名高い沖田総司。
この人の凄さは、やはり早熟な剣士だったというのが大きいと思います。
見る人が見れば、10歳ぐらいでも「筋がよい」かどうか分かるのでしょう。
沖田総司は、幼い頃に両親を亡くし、暮らしぶりは貧しかったようです。そのうち、姉のみつが、井上林太郎を婿に迎えて沖田家を継ぐことになりました。
この井上林太郎が、天然理心流の門人だった縁で、総司は9歳で天然理心流道場「試衛館」の内弟子となります。
そして、この試衛館で、後に新選組の中核となる数々の剣豪たちと出会います。
当時の試衛館は、近藤勇の養父・近藤周助が営んでいて、近藤勇、土方歳三、山南敬助、井上源三郎など、後の新撰組隊士として活躍する人たちが鍛錬していました。
総司の成長は目覚ましく、19歳で天然理心流の免許皆伝、塾頭を務めています。
総司の稽古は、たいへん厳しいものだったといわれますよ。
剣の道において、真剣だったのでしょうね。
必殺技「三段突き」とはどういうもの?
そんな沖田総司の得意とした必殺技が、「三段突き」というものです。
正式な名を「無明剣」といったようですが、いわゆる「突き技」です。
「突き技」というのは、相手を「点」で攻めるため、逃げられやすく次の一手まで時間がかかるという弱点があります。反撃されたときすぐに防御しにくい技なんですね。
しかし、総司の突きは、刀の構えを水平にして、刃を必ず外に向けておくというものでした。そうすると、「突き技」から即「斬る技」につなぐことができます。
また、この「突き技」は、目にも止まらぬ速さだったと伝えられます。
「三段突き」の名の通り、1発喰らったと思ったら3発だった、という伝説が残るほどの剣の速さだったとか。神業ですね。
そして、この「三段」というのは、喉・胸・みぞおちの「急所三か所」のことで、これを素早く突く技です。また、喉を突くか、胸を突くか、みぞおちを突くかを、相手の一瞬の動きに合わせて決めたともいわれます。
これは、天然理心流の奥義というよりも、沖田総司オリジナルの技だったといわれています。
練習したからといって、誰でもできるわけではないのでしょうね。
凄く短気だけど、子供好きだった!
新選組一番組組長だけあって、もちろん沖田総司は他の隊士たちに稽古をつけています。
若い隊長ですが、稽古は、それはそれは厳しかったそうです。
うーん、この辺りは、昨今のゲームなどのキャラクターに反映していますね。
でも、普段の彼は、すごく気さくでよく笑う、明るく人懐っこい性無邪気な性格だったそうです。そして、小柄で童顔だったそうです。
でも、実際に、史実として残っている情報は、すごく少ないのです。
結婚していた(内縁の妻がいた)という説もありますし、変な写真(似顔絵?)が出回っていて、実は不細工だったとか言われていたりと、謎だらけです。
あの妙なヒラメ顔の似顔絵は、総司のものではありませんよ。
近い親類の人をモデルにしたものが、出回っているだけです。
でも、普通に考えて、おそらく人間的にモテたでしょうね。
そして、よく言われる沖田総司の子供好き説!
これは、ある程度、信憑性の高い証言があります。
まずは、当時、新選組(壬生浪士組)の屯所だった八木邸の八木為八郎さん(当時は子供)が、近くの壬生寺で、よく総司に遊んでもらったと言っています。鬼ごっこやかくれんぼなどの外遊びを、一緒にしてもらったのだそうです。
また、1960年頃、司馬遼太郎さんが、新選組の小説を書く取材中に、壬生寺近くに住むおばあさんから「幼い頃沖田総司に遊んでもらった」という証言を得たという話が残っています。
尊王攘夷派であり、新撰組に敵対していた尊王攘夷派の西本願寺の寺侍・西村兼文も、沖田と山南は良識ある人だったという言葉を残しています。(「新撰組始末記」)
新選組随一の剣術使いで子供好き、病弱で夭逝したとあれば、後世取り上げられないはずがありませんね。
おわりに
沖田総司が強かったというのは、敵味方を問わず証言が残っています。
その腕前は、新撰組隊士のでも抜きん出たものでした。
彼は、動乱の時代に生きますが、政治的な関心はあまりなかったと思われます。
ただ、子供の頃から慕っていた局長・近藤勇のために、新選組のために、ただただ純粋に戦っていたように思えます。
私が感じる沖田総司の魅力は、人斬りをしながらもそういう純粋さ、子供らしさを残しているところです。
自分の信じる人のために真っすぐ生きた、魅力の尽きない人だと思います。
【参考図書】
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