この記事を読むのに必要な時間は約 7 分です。


こんにちは。
 
 
大河ドラマ「西郷どん」で、すでにかなり登場している「岩山糸」。彼女は、西郷隆盛の3番目の妻になった人です。
 
 
大河ドラマでは、吉之助(西郷)と同年代で、子供のころから男の子に混ざって走り回るおてんば娘という設定でしたね。幼なじみな感じです。
 
 
でも、実際には、男尊女卑がめちゃくちゃ激しい薩摩で、そんな事はあり得なかったのです!
 
 
郷中教育が武家の男子だけだったというのはもちろんのこと、「男女七歳にして席を同じうせず」だったので、若い男女が気軽に立ち話をするなんて浮ついたことは、まずなかったのです。
 
 
おまけに吉之助は、糸より16歳も年上でした。
 
 
でも、大河はドラマなので史実どおりにする必要はないと思います。ドラマは脚本・演出がおもしろければ、成功ですから。学校で習う歴史だって、時代と共に変わっていきますしね。
 
 
私は始めから糸がちょこちょこ登場するのはちょっとなーと思っていたのですが、それも人それぞれの感想です。ちなみに黒木華さんは好きな女優さんです。
 
 
今回は、岩山糸がどのように西郷隆盛と出会って、動乱の時代を生き抜いたのかをお伝えします。

 
 

スポンサーリンク

「糸」も再婚だった

 

 
1843年、糸は薩摩藩士・岩山直温の娘として生まれました。
 
 
彼女が16歳も年の離れた西郷隆盛の3番目の妻になったのは、やはりわけがあります。彼女も再婚だったのです。
 
 
始めに嫁いだのは海老原家で、「西郷どん」の嫁ぎ先と同じです。ここはうまく史実と合わせましたね。
 
 
西郷隆盛は、地元でもそのうち有名になっていくので、糸も噂は聞いていたと思いますが、2人が初めて顔を合わせたのは、結婚するときでした。
 
 
昔の薩摩の武士は、若い男女は目を合わせて語り合ったりしませんから、結婚は親同士、家同士が決めるのが当然でした。結婚式の日に初めてお互いの顔を見たというのも、珍しい話ではなかったでしょう。
 
 
実際、西郷隆盛の1度目の結婚もそうでした。
 
 
糸が3番目の妻ということは、西郷隆盛は、2番目の妻・愛加那と別れた後ということになります。

 
 

小松帯刀の媒酌で2人は結婚した

 

 
西郷隆盛と糸が結婚したは、1865年です。
 
 
時期的には、西郷隆盛が沖永良部島から戻り、「禁門の変」で薩摩軍の指揮をとって活躍した後、薩摩に戻ったときでした。
 
 
西郷隆盛39歳、糸は23歳でした。
 
 
西郷は、ぶっちゃけ結婚なんてどうでもよかったのしれませんが、家老の小松帯刀のすすめだったので、糸との結婚に即応じます。糸は、それから寅太郎、牛次郎、酉三という3人の息子を生みました。
 
 
西郷隆盛にとって、結婚はささいな事という位置づけだったのかもしれません。「ま、誰でもいっか」というノリっぽいです。
 
 
そう思うと、愛加那との結婚が一番恋愛に近かったのかもしれませんね。
 
 
愛加那とは家族だけで一緒に暮らしましたけど(使用人はいたかもしれませんが)、「糸」は結婚してから、大所帯の世話をしなければいけませんでした。同居していたのは、西郷隆盛の弟・吉二郎の一家4人と4男・小兵衛、それに数人の使用人です。
 
 
そして、西郷隆盛は、すぐに福岡・京都に立ち、その後も忙しくて薩摩にはあまり帰りませんでした。
 
 
糸は、その上、愛加那との間にできた息子・菊次郎を、8歳のときから引き取って育てています。もう1人、愛加那の娘・菊草は12歳のときに引き取りました。薩摩の武家に嫁ぐというのは、そういうことなのでしょう。
 
 
菊次郎は、その後京都市長を務め、菊草は、大山巌の弟、大山誠之助に嫁ぎました。
 
 
大河ドラマ「西郷どん」の原作では、この菊次郎がこの物語の語り部として登場しています。

 

 

スポンサーリンク

晩年は東京に


西郷隆盛は、征韓論争に敗れて下野した後、来客を避けるためにあまり自宅には帰りませんでした。
 
 
家族そろって湯治に行く時間は取れたようですが、それからも忙しい日々が続きました。
 
 
1877年、西南戦争が勃発し、西郷隆盛は命を落としました。
 
 
糸はその後も、ひっそり薩摩で暮らしていましたが、晩年には、長男・寅太郎のいる東京に移り住むことになりました。
 
 
彼女のお墓は、東京の青山霊園にあります。

 
 

【関連記事】
   ↓


 

 

 

 

スポンサーリンク