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「オオカミと七匹の子ヤギ」は、昔話の中でも子供に人気が高いお話なのだそうです。
 
 
子ヤギが子供にとって身近な感じがするのでしょう。
 
 
子供たちだけでお留守番をするときの教訓ですね。
 
 
ヨーロッパの昔話は、日本昔話と同じく「教訓」が多いです。
 
 
そして、登場する「オオカミ」=「犯罪者」のたとえという場合が多いです。
 
 
具体的には、強盗犯、レイプ犯人、殺人犯などの「悪い男」です。
 
 
オオカミにとっては、いい迷惑ですね。気の毒です。
 
 
中世西欧の人々の精神性の底辺には、カトリックの教えがあります。そして、カトリックの教えはどちらかというと性悪説をとっています。
 
 
つまり、「人の本質は悪である」ということ、人はアダムとエヴァの頃から「原罪」を持つ身なので「神の教えに背きたい」という衝動を持って生まれると考えるのです。
 
 
じっくり読むとなかなか深い「グリム童話」を味わいましょう。

 
 

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「オオカミと七匹の子ヤギ」のあらすじ


 
まずは、子供向けの童話「オオカミと七匹の子ヤギ」のあらすじを、さらっとおさらいしますね。
 

◆お留守番をする七匹の子ヤギ

 
昔あるところに、お母さんヤギと七匹の子ヤギが住んでいました。
 
 
ある日、おかあさんは、子供たちを集めて言いました。
 
 
「これからお母さんは森に出かけます。あなたたちはくれぐれもオオカミに気をつけなさい。オオカミは姿を変えてやってくることもありますよ。でも、オオカミはしわがれた声と黒い足をしています。よく見るのですよ。」
 
 
お母さんが出て行き、七匹の子ヤギはしっかり鍵をかけてお留守番をしました。

 
 

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◆1度目のノックは誰?

 
 
しばらくすると、トントンと戸をたたく音がしました。
 
 
「だあれ?」と、お兄さんヤギがいいました。
 
 
「お母さんですよ。おいしい食べ物を持って帰ってきたわ。」という声がしました。
 
 
でも、ひどくしわがれ声をしていたので、子ヤギたちはオオカミだと見破りました。
 
 
「ドアは開けないよ! お母さんはそんなしわがれ声ではないよ。やさしい声をしているよ」

 
 

◆2度目のノックは誰?

 
 
そこで、オオカミは考えました。
 
 
チョークを1本買ってそれを食べて、きれいな声に変えたのです。
 
 
そして、再び子ヤギたちのいる家に行き言いました。
 
 
「お母さんですよ。おいしい食べ物を持って帰ってきましたよ。」
 
 
今度は、きれいな声をしています。
 
 
子ヤギたちはお母さんが言ったことを覚えていて「じゃあ、足を見せて」と言いました。
 
 
ドアの下から、真っ黒な足が見えました。
 
 
「開けないよ! お母さんの足はこんな真っ黒じゃない! オオカミだ!」

 
 

◆3度目のノックは誰?

 
 
オオカミは、再び考えました。
 
 
そしてパン屋に行って練った白い粉をぬってもらい、粉屋で前足に白い粉をふってもらいました。
 
 
そして三度、子ヤギたちのいる家に行き言いました。
 
 
「お母さんですよ。おいしいご飯を持って帰って来ましたよ」
 
 
きれいな声をしていました。それで、子ヤギたちはまた「足をみせて」言いました。
 
 
すると、今度は白い足が見えました。
 
 
「ああ、お母さんだ! お母さんが帰ってきた!」
 
 
子ヤギたちはお母さんだと思い込み、喜んでドアを開けました。
 
 
すると、そこにいたのは大きなオオカミでした。
 
 
子ヤギたちは、びっくり仰天!
 
 
みんなが一斉にいろんな場所にかくれようと逃げました。
 
 
おおかみは子ヤギたちをあっという間に見つけ出しました。そして、次々に丸飲みにしてしまったのです。
 
 
でも、ただ1匹だけ、時計の箱にかくれた一番小さい子ヤギだけは、見つけられませんでした。
 
 
6匹の子ヤギを飲み込んだオオカミは、お腹がいっぱいになり、野原で横になってそのまま眠りこけました。

 
 

◆お母さんヤギが帰宅!

 

 
しばらくすると、お母さんヤギが帰ってきました。
 
 
お母さんは、家の中がめちゃくちゃになっているのを見て、あわてて子ヤギたちを探しました。
 
 
すると、時計の箱の中から一番小さい末の子ヤギが出てきたのです。
 
 
子ヤギに、みんなオオカミに食べられてしまったと聞き、お母さんヤギはとても悲しみました。
 
 
そして、外に出てみると、なんとオオカミがグーグー大いびきをかいて眠っているではないですか!

 
 

◆オオカミの最期

 

 
オオカミのお腹は大きくふくれ、お腹の中のものが動いています。
 
 
お母さんヤギはひらめいて、オオカミのお腹をハサミでジョキジョキ切り開きました。
 
 
すると、ポンポンと子ヤギたちが飛び出してきました!
 
 
それから、お母さんヤギは子ヤギたちにオオカミのお腹に代わりにたくさんの石を詰めさせたのです。
 
 
そうして、その重くふくらんだオオカミのお腹を、お母さんヤギはしっかりぬい合わせました。
 
 
しばらくして、オオカミが目を覚ましました。
 
 
オオカミはなんだかとてものどがかわき、近くの井戸の水を飲もうとしました。
 
 
すると、オオカミはお腹の石の重みでよろめき、井戸に落ちておぼれて死んでしまったのでした。

 
 

チョークの不思議

 
 
「おおかみと七ひきのこやぎ 」のオオカミは、声を変えるときに「チョーク」を食べたことになってますね。
 
 
なぜにチョーク?
 
 
あの黒板で使うチョークのこと?
 
 
あれで声がきれいになるの?と、疑問に思いませんか?
 
 
あのチョークは、原文では「白墨(はくぼく)」となっています。その原料は「石灰石」なのです。
 
 
当時(19世紀)のドイツの民間療法では、石灰石を食べると声がよくなると考えられていたのでした。
 
 
なるほどですね。

 
 

中世西欧の庶民の生活は大変だった

 

 
「グリム童話」に収められた話は、もともと中世~近世ヨーロッパ各地に伝わる伝承をアレンジしたものでした。
 
 
「グリム童話」は初版が1812年です。19世紀には西欧に近代的な倫理観が広まっていった時代です。ですから、子供に読み聞かせするには残酷すぎる、性倫理から大きく外れるとされた所は、省かれたりアレンジされたりしたのでした。
 
 
常に飢えに苦しめられてた中世の領民たちは、大人は日中みんな農作業に従事していました。そして、子供だけになった家は、強盗や性犯罪者の恰好のターゲットになりました。そういう犯罪がしょっちゅう起こっていたのです。
 
 
だから、お母さんやぎは絶対に誰が来ても開けないようにと、子やぎたちに忠告していたのです。
 
 
こやぎたちはバカではなく、お母さんの言いつけをきちんと守ります。オオカミを2度までは見破って退けますからね。
 
 
でも、3度目にとうとうオオカミに知恵敗けして引き入れてしまいました。ここは、当時の子供にとって教訓話としてハラハラするところなのでしょう。
 
 
用心に用心を重ねましょうという教訓です。

 

 

悪いことをしたら処罰されるという教訓


オオカミは、6ひきのこやぎを見つけて食べてしまい、おなかいっぱいでそのまま眠ってしまいました。
 
 
帰ってきたお母さんは、真っ青です。
 
 
1匹だけ見つからなかったこやぎから何があったか聞いたお母さんは、眠っているオオカミのお腹をジョキジョキ切って、こやぎたちを助けだし、代わりに石をつめました。
 
 
この母やぎ、えげつないことしますね。
 
 
「赤ずきん」の最後と似ていますが、本来「赤ずきん」の話は、赤ずきんは食べられておしまいです。
 
 
地方によって食べられ方は、いくつかのパターンがありますが、オオカミにそそのかされて、赤ずきんが自分で一枚ずつ服を脱ぎ、裸になったところを食べられたというのもあります。性犯罪・・・
 
 
「赤ずきん」の結末を「おおかみと七ひきのこやぎ」と同じようにしたのは、グリム兄弟のアレンジでしょう。
 
 
ただ、「オオカミのお腹を裂いて石をつめる」というこのグロい発想。
 
 
これはグリムのオリジナルではなく、母やぎの発想(?)でもありません。中世西欧で、本当にあった処刑法なのだそうです。
 
 
もともと「お腹を裂く刑」は古代ローマ時代からありました。さらに、腸を引っ張り出して巻き上げ機でまきまきするというのもありました。「聖エラスムス」は、その刑で殉教しています。絵画にも残っていますよ。

        ↓

【出典元:Wikipedia】

 
 
余談になりますが、キリスト教の初期の殉教者は、それぞれ創意工夫をこらしたさまざま方法で亡くなっております。(-“-)
 
 
その多くは、絵画になって残っているのでした。
 
 
例えば「皮はぎの刑」で殉教した「聖バルトロマイ」は、ミケランジェロの自画像として「最後の審判」に描かれています
 
 
聖バルトロマイのアトリビュート(その人物を特定する持ち物)として持っている「人の皮」がミケランジェロなのだとか。

 

 
中央のキリストのすぐ右下です。
 
 
ヨーロッパ人にとって、変なアトリビュートで聖人を特定できるのは教養(常識?)なのかと思うと、国民性の違いをすごく感じるのでした。

 
 

おわりに

 

 
昔話をひもとくと、当時の社会の風潮が垣間見れておもしろいです。国や宗教による違いもわかりますね。
 
 
西欧人の精神性を知るためには、キリスト教への理解は絶対に必要なのだなとつくづく思うのでした。
 
 
私はキリスト教の教えにはあまりなじめないので、またかと思うことが多いです。

 
  
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絵が多くて内容も濃く、とても楽しめるおすすめ本です。

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