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こんにちは。
 
 
今の日本では、子供数よりペットの数ほうが多いそうです。みんな癒しを求めているのでしょう。
 
 
わが家には、犬猫ではなくウサギがいます・・・・・
     ↓

 
 
日本は豊かになって、庶民もある意味、貴族化してるのでしょうね。
 
 
16世紀頃のフランスで、貴族たちに大人気だった犬(犬種)がいました。蝶のようなひらひらした優雅な耳をしたお利巧そうな犬・パピヨンです。
 
 
マリーアントワネットも、こメロメロだったようですよ~。

 
 

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◆貴婦人たちに愛された「パピヨン」

 

 
パピヨンは、耳の美しい毛がふさふさしているところが蝶(フランス語でパピヨン)に似ているところから、そのままパピヨンと名付けられた犬でした。
 
 
小さな体に美しい毛並み、賢く貴族的な風貌・・・
ヨーロッパの貴族たちは、オシャレなアクセサリーで身を飾るように、パピヨンスペインから取り寄せ、そばに置いたのでした。
 
 
太陽王ルイ14世もパピヨンをこよなく愛していて、その当時からフランスの宮廷内には、たくさんのパピヨンが飼われていたんですって。
 
 
マリーアントワネットがフランスに嫁いてきたときには、もうパピヨンが、宮廷にたっくさんいたということなんです。オーストリアでも、マリア・テレジアがパピヨン好きで飼っていたので、マリーアントワネットにとっては、故郷を懐かしむ犬でもあったかもしれませんね。
 
 
とにかく、パピヨンは、宮廷の高貴な貴婦人たち、ポンパドール婦人やマリーアントワネットを瞬く間に魅了し、たいへん可愛がられたのでした。マリーアントワネットの肖像画をたくさん残している女性画家のヴィジェ・ルブランは、フランス革命時に外国へ亡命しましたが、彼女はこのとき飼っていたパピヨンも連れて行っています。
 
 
貴婦人たちの多くに、マイ・パピヨンがいたのでしょうね~。

 
 

◆マリーアントワネットのパピヨンはどうなった?

 

 
マリーアントワネットは、フランス革命で処刑されるとき、コンコルド広場で死刑台にのぼる直前まで、この愛していたパピヨンを抱きかかえていたそうです。
 
 
タンブル塔に幽閉されていたときも、コンセルジェリに移送されたときも、家族と別々にされてもこのパピヨンだけはずっとそばにいたのです。
 
 
どれほど慰めになったでしょう。
 
 
マリーアントワネットが処刑されたのち、このパピヨンは最後にマリーアントワネットの世話をしていた侍女が引き取って育てたと伝わります。
 
 
よかったですね。
 
 
周りでお世話をしていた侍女は、マリーアントワネットにとても同情的だったのです。
 
 
そうして、マリーアントワネットのパピヨンは、パリの家で飼われることになりました。その家は、「パピヨンハウス」と呼ばれていたそうなので、よく知られている逸話なのでしょう。

 

 

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貴族のトレードマークとして迫害される

 

 
パピヨンが、フランスの宮廷で大人気だったのは、市民にも広く知れ渡っていました。
 
 
当時は、何かが起こると、革命を支持する新聞屋が、ゴシップ記事をたくさん書いてばらまいたので、市民たちの多くはその気にの内容を鵜呑みにしたのです。
 
 
パピヨンは、民衆からみると、貴族のトレードマーク的意味合いを持っていました。
 
 
そうして、なんの罪もない犬に民衆の怒りが向かい、多くのパピヨンが虐殺されたのです。
 
 
パリのパピヨン犬は、当時、絶滅寸前にまでおいこまれたそうです。
 
 
哀しい歴史ですね。
 
 
フランス革命は、「劇薬」だったという意見があります。
(『フランス革命―歴史における劇薬』遅塚 忠躬)
 
 
この革命は、もともと全ての国民が飢えることのない幸せな社会を作ろうと、高い志を持って始まったはずでした。なのに、最後は、恐怖政治で多くの無実の人々を断頭台に送ることに変わってしまったのです。
 
 
そうして、人間だけでなく、まったく無実の犬にまで、その不条理な怒りの矛先が向かってしまったのでした。

 
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