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こんにちは、このかです。
 
 
今回は、京都の清水寺の住職だった月照(げっしょう)についてお伝えします。
 
 
2018年の大河ドラマ「西郷どん」では、尾上菊之助さんが演じられますよ。
 
 
当時、40代で西郷隆盛と衆道の関係だったとささやかれるなかなか難しいキャラなのですが、女形もばっちりの実力派歌舞伎役者のキャスティングは◎だと思います。

 
 

清水寺成就院の住職が尊王攘夷派に

 

 
月照は、1813年に町医者の子として大阪で生まれました。そして、14歳ごろに、叔父さんの後継者として清水寺の成就院(じょうじゅいん)に入り僧となったのです。
 
 
成就院は清水寺の北にある「月の庭」と呼ばれる美しい庭のある名所です。現在は春・秋の年に2回だけ、期間限定で公開しています。月照は、23歳でそこの住職になりました。
 
 
成就院は、公家とのかかわりが深く、月照は和歌などを通じて、近衛忠煕など公家との交流が盛んになっていきました。そして、しだいに尊攘攘夷の考え方に強く共感していったのです。
 
 
そして、ついに住職を弟に譲って、尊王攘夷派としての活動を活発化させていくこととなったのでした。

 
 

西郷隆盛との出会い

 

 
そのころ、薩摩藩の藩主・島津斉彬は、次の将軍を一橋慶喜にしようと画策していました。そのため、島津斉彬は公家や朝廷と太いパイプができないかと考えていたのです。
 
 
斉彬の父、前藩主である島津斉興の娘が、近衛忠煕に嫁いでいたことから、斉彬は、近衛家をとおして朝廷や公家と関わろうと考えました。
 
 
そして、当時、島津斉彬のもとで京都や江戸で働いていた西郷隆盛と、近衛忠煕に近い存在だった月照が出会ったのです。

 
 

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月照と西郷の入水

 

 
ときが過ぎ、井伊直弼が大老に就任すると、「安政の大獄」が始まります。そのころ、島津斉彬が、あっけなく薩摩で急死してしまいました。
 
 
斉彬を崇拝していた西郷隆盛は、主君の後を追おうと殉死を考えますが、そのとき説得して思いとどまらせたのが、月照だったといわれます。
 
 
井伊による「安政の大獄」で、反対派の粛清はどんどん厳しくなり、とうとうその手が月照にも伸びました。
 
 
月照をなんとか助けようと、西郷は薩摩に連れて逃げましたが、彼をかくまうことは、薩摩藩にとって利のないことでした。
 
 
そのため、薩摩藩は月照をかくまおうとせず、日向国に行くよう命じます。それは、「薩摩を出て日向国に入ったところで月照を殺害せよ」という体のいい殺害命令だったのです。
 
 
薩摩の意向を悟った西郷は、月照を見殺しにできず、また斉彬死後の薩摩藩の冷たさに失望し、共に入水して果てようと、一緒に錦江湾(鹿児島湾)に身を投げました。
 
 
2人は海からすぐに船頭に引き揚げられました。西郷隆盛は、なんとか奇跡的に生還できましたが、月照はそのまま還らぬ人となったのです。

 
 

2人の入水は心中だった?

 

 
月照と西郷隆盛は、海に飛び込んだときも、引き揚げられたときも、しっかり抱き合っていたといわれます。
 
 
大河ドラマ「西郷どん」の原作でも、がっつり相思相愛の描写がありますよ。
 
 
ですから、インタビューで脚本家の中園ミホさんが、BL(ボーイズラブ)もあると言っていたのは、間違いなくこの2人の関係です。実際には分かりませんが、そうだったとしてもおかしくないと思います。(個人的な意見です。)
 
 
そもそも、日本人は男性だろうが女性だろうが、老若男女、恋愛対象は限定しなかった歴史があります。『源氏物語』も『好色一代男』も、主人公はやりたい放題なのに、ベストセラ―かつ今も売れてるロングセラー本です。
 
 
男色が変というのは、明治以降キリスト教の禁忌が入ってきてからの洗脳ですね。(武家は江戸中期から一応男色禁止されましたけど、徹底してません)
 
 
月照のいた「寺院」は、男色は(寺小姓がいる)普通のこと、「公家」の世界も稚児遊びは当たり前、西郷隆盛が育った薩摩の「郷中教育」も男同士の絆(もちろん精神的なのが強い)がやたらと深まる体質の組織でした。
 
 
同志であり心の支えだった月照だけが亡くなったという事実は、西郷隆盛に大きな影響を与えたでしょう。注目すべきは、その点だと思います。
 
 
西郷と月照のBLチックな心中描写は、原作の「中巻」に出てきます。
 ⇒「西郷どん」原作(中巻)レビューはこちら♪

 
 
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