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こんにちは。
 
 
西郷隆盛の家は、下級武士でとても貧乏です。そんなに貧しいのに、使用人を雇っています。
 
 
でも、家族にごはんを食べさせることもできず、豊かな商人から借金したほどなので、使用人といっても、ごはんを食べさせてもらうのが精いっぱいで、給金はとてももらえなかったようです。
 
 
「西郷どん」3話に登場した塚地武雅さん演じる永田熊吉は、明治維新までずっと西郷家の使用人として仕えたのでした。
 
 
わき役キャラは架空の人物の場合が多いですが、この永田熊吉は実在の人物で、西南戦争でも西郷親子を助けて活躍する隠れたキーパーソンなのです。

 
 

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永田熊吉は西郷家の家族のような存在だった

 

 
永田熊吉は、一応1835年ごろ、下加治屋町で生まれたとされています。つまり、吉之助(西郷)より7歳ぐらい年下なんですね。
 
 
もっとおじさんかと思ってました。
 
 
「西郷どん」3話で出てきましたが、祖母も西郷家に仕え、父親も西郷家に仕えていたので、もう身内のような身近な存在だったのです。
 
 
後に、吉之助が、京都や江戸に出て薩摩のために働いていたときも、熊吉は同行して身の回りの世話をしました。明治時代になり、吉之助が新政府の参議となって東京に移ったときにも、日本橋の邸宅で使用人として仕えていました。
 
 
熊吉は、吉之助が征韓論で敗れて鹿児島に下野したとき、日本橋の邸宅の売却処理を済ませています。庭師の修行をし、経理能力も高かった仕事のできる人でした。
 
 
熊吉の人柄がうかがえるのは、西南戦争での活躍でしょう。

 
 

西南戦争で西郷隆盛の息子・菊次郎を助ける

 

 
征韓論で敗れ、参議を辞めた後、鹿児島に下野した西郷隆盛のもとに、不平士族たちが集まってきました。
 
 
そして、1899年、西郷隆盛を中心とした士族の反乱「西南戦争」が起こります。
 
 
西郷隆盛の長男、奄美大島の妻・愛加那(あいかな)の息子・菊次郎も、この戦争に参加しました。
 
 
戦いは激しく、菊次郎は、延岡・和田越えでの戦いで、右足に銃弾を受け、足を切断する大怪我を追ってしまいました。
 
 
負傷した菊次郎に、父・吉之助(隆盛)は再開して、降伏するように諭し、永田熊吉に菊次郎を連れて投降するように命じたのです。
 
 
40代になっていた永田熊吉は、険しい山道を菊次郎を背負って歩き、新政府軍の西郷従道(西郷隆盛の弟)の元に連れて行ったのです。
 
 
菊次郎が無事に投降できて、叔父の西郷従道は大変喜びました。そして、永田熊吉に感謝したのです。

 

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最期まで西郷家のために働いた

 

 
吉之助(西郷隆盛)が「西南戦争」で亡くなった後、永田熊吉は、鹿児島の西郷家に戻って、また今までどおり使えました。
 
 
その後、西郷従道に呼ばれて、東京の西郷家で仕えるようになりました。熊吉は、京都にいたときに庭師の元で修行したことがあったので、庭師として働いていたようです。
 
 
永田熊吉が手入れしていた西郷邸の庭は、今は東京目黒区にある「西郷山公園」になっているそうです。私は東京は土地勘がないので、さっぱりわからないのですが、代官山駅から徒歩圏なのだそうですよ。

 
 

おわりに


昔の主従関係は、代々続くことも多かったので、気の合う使用人はとても信用できる身内だったのでしょう。
 
 
大怪我を追った息子・菊次郎を熊吉に託したのも、何があっても守ってくれる人だと信用していたからですね。
 
 
永田熊吉は、「青山霊園」に眠っているそうです。
幕末の政治家や著名人がわんさか眠るあの有名霊園です。
 
 
他には、大久保利通、西郷糸子(隆盛の妻)、乃木希典、犬養毅、山川浩、大鳥圭介、小村寿太郎など多くの幕末政治家、志賀直哉、尾崎紅葉のような文学者などが眠っています。

 
 

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